去年8月、日経コンピュータ栗原雅記者の伝説のコラム「消費者に理解されていないICタグ」に対してボロカスな読者コメントが寄せられるということがあったが、その後、栗原記者からの釈明が掲載されることもなく、「あそこの読者コメントは著者には読まれていないのではないか」という疑問の声が各所で囁かれていた。
日経コンピュータ誌を漁ってみたところ、読者コメントに対する著者の回答は、本誌の「読者の声Web版」というページに掲載されていた。昨年9月22日の栗原記者の記事「ICタグの具体的な利用提案が続々」に対する読者コメントに対して、日経コンピュータ2003年10月20日号のp.190で栗原記者が答えている。
[読者の声]
また宣伝ですか。「利用者もICタグについて理解してきた」とてもそうとは思えないのですが。一般のユーザーは、ICタグについてまだまだ知らないと思います。業界は良い点ばかり宣伝し、都合の悪いことに口をつぐんで、ただ「ICタグ」という商品を売りつけたいだけではないのでしょうか?
(30代,ユーザー企業,情報システム部門 9/26投稿)
最大の課題であったプライバシ侵害の危険に対して何も触れていないが、進展はないのだろうか? これほど重大な問題点を放置したまま「見切り発車」を急ぐことで、せっかくの有望な市場にぬぐいがたいダーティイメージが固定することを恐れる。そのような自体を防ぐ責任のかなりの部分はマスコミにあると思う。まずは問題点について「無かったことにする」態度を糾弾し、正しい認識を消費者や関係者に啓蒙すべきであろう。 (9/27投稿)
(略)
[記者からひとこと]
初めに、記者および日経コンピュータは「ICタグを宣伝する意図はまったくない」ことをお断りしておきます。 ICタグについて、一般の方々の理解をさらに深める必要があるのは事実です。大前提として、電波法の規制の下でICタグとリーダーが通信可能な距離や、電波の特性など技術面の理解が欠かせません。そのうえで「享受できる可能性があるメリット」と「普及に伴って危惧されるデメリット」の両面を議論すべきだと考えます。それが「正しい認識」につながります。
「都合が悪いこと」すなわちプライバシ侵害から消費者を守ることが大切なのは間違いありません。ただ、「プライバシが危ない」という一方的な視点で議論を進めるのは、消費者の不安をむやみにあおるだけだと考えます。2000年問題のとき、「銀行預金は引き出せなくなり、水道やガスや電気が止まる」と報道したメディアの多くは、企業の対策状況に触れなかったため、社会にばく然とした不安をあおりたてました。ICタグについても、技術特性という大前提を無視して極端な議論をすると、これと同じ状況を招きます。
導入に意欲的な企業と政府はプライバシ侵害の問題を検討し始めました。今後もICタグの取材を強化して、メリットとプライバシ侵害を含む問題点の現状と展望を紹介します。(栗原 雅)
読者の声Web版, 日経コンピュータ, 2003年10月20日号, p.190
で、ICタグのプライバシー懸念について「企業の対策状況」がどうなっているのか、栗原記者はその後、取材や報道をしたのか? 2000年問題で大した実害が発生しなかったのはなぜか、考えたことはあるか?
日経BPの雑誌を「ICタグ」と「プライバシ」をキーワードに全文検索してみたところ、以下の記事などがヒットした。
記者による記事よりも、在米ジャーナリストや弁護士などの記事が目立つが、先日、最新の記事が出た。
ここにプライバシー関連の記述が何箇所かあるのだが、あいかわらず、問題を正しく認識しておらず(もしくは、わざと書かないようにしている)、1年前と同じことを繰り返し言っていることがわかる。
6. 他人に持ち物が見られてしまう?
あらゆるモノにICタグが付くようになると、カバンや上着のポケットに入れた持ち物が見ず知らずの人に分かってしまう——。こうした懸念が一部でささやかれている。技術的には、外から見えなくてもリーダー/ライターの電波がカバンやポケットの中に届けば、財布などに付けたICタグの情報を読めるからだ。
だが現実にはタグが付くからといって、通りを歩いたり電車に乗ったときなどに持ち物が見られる危険が急に高まるとは考えにくい。
ICタグに記録してある情報は0と1を羅列したバイナリ・データであることが普通。それだけ読んでも、何ケタ目から何ケタ目までが何を意味しているのかは分からない。バイナリ・データの意味を知るには、ネットワーク上に星の数ほどあるデータベースの中から、そのバイナリ・データを管理しているデータベースを突き止める必要がある。さらにセキュリティの網をかいくぐってハッキングに成功しなければならない。
そもそも、赤の他人に近づいてカバンに入っている持ち物のバイナリ・データをこっそりと読み、その意味を解釈するのにわざわざハッキングなどの手間をかける人間が本当に存在するかどうか疑問が残る。
特集ICタグ35の疑問, 日経コンピュータ2004年10月4日号, p.57
栗原雅が真っ赤な顔をしてキーボードをたたいている様子が目に浮かんでくる。
いまさら言うまでもないがいちおう反論しておく。
指摘されている問題は、モノが何か分かるという点だけでなしに、トラッキングの懸念であるが、栗原記者はそれを無視し続けている。
データベースへのアクセス権の管理をどう設計するかは大変難しい問題で、関係技術者と話をすると、そこが未解決で途方に暮れているという声をよく耳にする。つまり、「ハッキング」など必要ではなく、読み取った番号を正規の装置から検索すればよい。たとえば、本屋のシステムであれば、全国何万もの書店でIDから書名を検索できることになりかねない。モノの所有者が移転する毎にアクセス権も移転させるといったシステム設計が必要となるが、それがうまくできるかが鍵だ。そういうところを取材したり問題提起するのがジャーナリストの仕事だろう。
「ネットワーク上に星の数ほどあるデータベースの中から」とあるが、オートIDラボのインターネット屋の人たちが言っているところでは、DNSを使って、タグのIDからデータベースのIPアドレスを検索するサービスを提供するという話があるようだが、それは誰でも検索できるということではないのか?
また、続くページにはこういう項目もある。
33. プライバシ問題にどう対処すべき?
特集ICタグ35の疑問, 日経コンピュータ2004年10月4日号, p.57
ここは、総務省・経済産業省のガイドラインに関する記述で、まあまあまともに書かれている。
34. 不正な読み取りを防ぐには?
タグが持つデータの不正な読み取りを防ぐ方法は大きく二つある。一つは、消費者の手にICタグが渡ったときにタグのデータを消去する仕組みを付ける。もうひとつは、ICタグのデータを暗号化して、データの中身を分からなくするものだ。
(略)
特集ICタグ35の疑問, 日経コンピュータ2004年10月4日号, p.58
暗号化したデータを格納しても、トラッキングの問題は解決しないのだが、そのことが全く書かれていない。日経コンピュータの記者は、トラッキングの懸念は無視なのだ。上の33.の項目の文章を読んでも、トラッキングの懸念のことは書かれておらず、
たとえ読み取られた情報が個人情報にあたらないとしても、自分にかかわる情報を知らないうちに他人に知られるのは気分のよいことではない。
特集ICタグ35の疑問, 日経コンピュータ2004年10月4日号, p.57
と、気分の問題だということにしている。総務省・経済産業省のガイドラインが出た理由が、気分の問題として解釈されている。
これに比べて、日経バイト誌はよい記事を出している。
今後,さまざまなモノに張り付けられ,新たなサービスの提供や管理の効率化を可能にすると期待されている無線ICタグ——。その適用領域を見極めるには,無線ICタグがどこまで読めるのかという基本性能を知っておく必要がある。
(略)
無線ICタグの性能を知ることは,懸案となっているプライバシ問題について考える上でも重要である。カバンの中身が外から分かったり,人の行動を追跡されたりする恐れがあるというが,それはどんな場面で起こるのか。それを未然に防ぐには,どのような対策が有効なのか。対策を考え,その妥当性を検証するためにも,どんなときにタグが読まれるのかを知っておきたい。
ジャーナリズムとして極めて正しいアプローチである。栗原記者もそういう視点を持ったらどうか。
また、日経バイトには以下の記事も出ている。
「無線ICタグにIDしか入れていなければプライバシは侵害しない」。こんな主張をたまに見るが、それはウソである。世界で一意のIDがもたらす危険性を、2010年のクリーニング店を舞台に分かりやすく解説する。(本誌)
という編集者からのコメントが付いており、日経コンピュータとは対照的だ。
こうした懸念の存在を踏まえたうえて、その程度問題を議論したり、対策方法を議論するのがなすべきことなのに、日経コンピュータはそれを無視している。
冒頭の読者コメントで、「まずは問題点について「無かったことにする」態度を糾弾し、正しい認識を消費者や関係者に啓蒙すべきであろう」という指摘があったが、「無かったことにする」とは、まさに栗原記者(および日経コンピュータ編集部)がやっていることだろう。
ちなみに、日経コンピュータでも海外発の記事は興味深い内容になっている。
(略)会場にはオートIDラボなどの関係者を含む200人ほどの聴講者がいたが、アルブレクト氏の指摘に対し何の反論もなかった。
(略)
「ICタグの技術そのものを否定しているわけではない。消費者を交えた議論や評価という重要なプロセスを経ずに、企業だけで走り出しているのが問題」とアルブレクト氏は主張する。
(略)会場の参加者のなかからは「私はオートIDラボと共同で仕事をしているベンダーだが、CASPIANの主張はよく理解できた。プライバシに対する考え方が変わった」といった声が挙がっていた。企業と市民団体の対話という点では、米国は日本よりも先行している。
プライバシーの論点が何もない。昔のZDnetのようなスタンスとは違ってきている。ITmediaは普通の和風メディアになりさがっていくのだろうか。だとしたらまことに残念だ。同じものは二ついらない。
アクセンチュアの堀田徹哉パートナーへのインタビューの4回目は、特に欧米で懸念されているプライバシーの問題を取り上げる。同氏によると、米プライバシー保護団体が騒ぎを起こすほどには心配しなくていい問題のようだ。
これに対してはこんな意見も見られた。
次の記事、
今回、開発した One to One 履歴分析/IC タグソリューションは、ディスプレイ付のショッピングカートに、IC タグが付いた商品を入れることによって、その商品の購入者たちがどのような別商品を購入しているという情報をディスプレイに表示し、購買意欲の促進をはかるもの。
(略)通常のマーケティング分析で使われる、年齢、性別などの顧客属性や食品、化粧品などの商品属性といった情報を一切使用せず、「誰が」、「いつ」、「何を購入した」という購買履歴だけで分析することが特徴の「選好行動分析フィルタリング技術」を活用したエンジン。(略)
今後、同ソリューションは、ポイントカードシステムや携帯電話などを組み合わせることにより、従来、ネット販売だけで可能だと考えられていた商品紹介機能を、リアル店舗でも活用できるよう計画をしてる。
「誰が」とあるが、匿名のまま買うことも許してくれるのだろうか。