2017年5月、それは新聞各社のベタ記事報道から始まった。
朝売新聞2017年5月26日朝刊
美術館の電子書籍を破壊 愛崎県警 不正指令電磁的記録作成容疑、32歳を逮捕
岡知市立美術館の電子書籍データを破壊する不正なプログラムを人の実行の用に供する目的で作成、提供したとして、県警生活経済課と岡知署は25日、不正指令電磁的記録作成及び同供用の容疑で、コンピュータソフトウェア制作会社社長を逮捕した。
発表によると、容疑者は、昨年12月、ハードディスクを繰り返し執拗に消去するプログラムを作成し、インターネットのホームページで公開していた。今年3月に市立美術館の主任主査がこれをダウンロードしたところ、美術館の電子書籍データがすべて破壊された。プログラムは35回にわたって繰り返し0(ゼロ)を書き込むよう作られており、誤消去したファイルを元に戻すソフトを使った復旧作業を不可能にしたとされる。
容疑者は、「セキュリティのために情報を消去するプログラムを作成し提供していた。利用者の利便性のために提供していたもので、誤って実行させるつもりはなかった」と容疑を否認しているという。
同美術館によると、システムの保守を委託している業者が復旧を試みたが、バックアップ装置のトラブルで復旧が不可能になったという。
ニュースのことば 不正指令電磁的記録作成及び同供用罪
コンピュータウイルスによる情報流出などの被害が後を絶たないことから、ウイルスの作成を処罰できるよう、2012年の刑法改正で新設された罪。他人のコンピュータで使われるよう提供する目的で、他人が使用する際の意図に反する動作をする不正なプログラムを作成した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処せられる。
このニュースがネット上に掲載されると、Twitterやスラッシュドットなどで、「この逮捕はおかしいのでは?」という疑問の声が相次いだ。Webプログラマの大柿氏は、岡知署に電話して意見を述べたとのことで、「電話に出た方は納得したようだ」とのことだった。
(執筆中)
朝日新聞社のWEBRONZA編集部から昨年末にインタビューがあり、岡崎図書館事件について語ったものが記事になりました。
あいにく後半の5分の3ほどが有料となってしまいました。最安で262円*1で読めるようです。後半の内容がどんなものになっているか、ハイライトシーンをごく一部だけ引用しておくとこんな感じです。
◇閲覧障害はなぜ起きたか◇
(略)これが、三菱電機ISの図書館システムの構造では、同一人物からの1千回のアクセスが「1千人からの別々のアクセス」として処理されてしまって、障害が起きたわけです。つまり、利用者数が実際の1千倍に見えたということです。(略)
――しかし、愛知県警は前出のように「それまで正常に動いていたのが,一部の人のアクセスが始まったことによって不具合が生じた」と電話取材した人に答えていますね。
今回の障害は不幸なことに「スレスレのライン」で発生したと言えます。元々1日数百人程度の、決して多いとは言えない利用者しかおらず、それまでたまたま不具合を露呈させずにやってこられたところに、彼の自動アクセスが来てシステムの不具合が露呈した。つまり、河川の堤防にたとえれば、普段の水流量でもスレスレになっているような「低い堤防」です。少しでも雨が降れば溢れる堤防だったのに、たまたまそれまで雨が降らなかったのです。(略)
◇障害発生に気付けなかった原因◇
(略)例えば5分間隔で「そろそろ復旧したかな」と思ってリロードすると、永久につながらない。これが障害が目立った理由の一つでした。
本来、普通の作り方のシステムなら、エラーが出たらエラー処理(セッションをリセットする)をしないといけない。しかし、三菱電機ISのシステムはそうした作りになっていませんでした。「オン・エラー・レジューム・ネクスト」(エラーが起きたらそのまま次に進め=On Error Resume Next)というプログラムコードが書かれていたせいで、永久に障害が出続ける現象が起きた。
昨年3月半ばに図書館の担当者がサーバの障害を初めて把握したのは、利用者から苦情の電話がかかってきたからだったそうです。そのとき担当者自身がアクセスしてみて、エラー画面に当たったとしたら、その後、何回リロードしても復旧しなかったことでしょう。他の利用者は正常に使えているのに、そのPCからは復旧していないように見えるのです。(略)
――この問題も、古いシステムづくりと関係がありますか?
接続を解放しないのが古いシステムゆえの「仕様」だったとしても、それに加えてエラーを無視していたというのは、単に「ずさんだった」と言うしかないと思います。どんなシステムやプログラムであってもエラー処理は必須で、想定外のことが起きた時にそこから回復する処置を組んでおくのが当然です。三菱電機ISは、航空管制システムのようなクリティカルなシステムも作っているわけで、エラー処理が重要なものであることは百も承知のはずです。この点で、「不具合ではない」という三菱電機ISの主張は間違っていると思います。(略)
◇個人の技術者が加速させてきたウェブの進化◇
(略)昨年、論議が沸騰していた6月21日、私が岡崎署に電話取材したとき、K警部補は「会社でやっているような事業を警察が取り締まるつもりはないので心配しないで下さい」とおっしゃいました。私は「それはおかしい、個人か企業かで罪に問われるかどうかが異なるのか」という趣旨の反論をしたのですが、その点についての返答はありませんでした
(略)大手検索サイトのクローラーは「みんなのためにやっている」という公益性がある。それに対して、彼は自分だけのためにやっていた。しかし、そうだとしてもそれは単に倫理的な話であって、犯罪か否かの構成要件に関係するポイントではないでしょう。グーグルやヤフーは「違法だけれど許されている」のでしょうか? そうではないでしょう。(略)
◇ウェブ技術者への萎縮効果は大きい◇
(略)昨年12月中旬に明らかになったことなのですが、東京都杉並区立図書館の利用者が、岡崎の彼とほとんど同じプログラムを作成して、結果をサービスとして公開していたことがわかりました。09年2月から開始されていたようですが、昨年6月に閉鎖されています。
(略)岡崎の事件で、「これと同じことを皆がやったら、やはりサーバは落ちるじゃないか」と指摘する人がいましたが、同じことをする人が何人もいるなら、そういう需要があるということです。そうした需要のある機能は本来、図書館側が提供すればいいことです。外部で提供されたサービスが発展的に解消して、本家が提供を始めるならそれでいい。これがウェブの技術進歩の自然なやり方です。
(略)興味深いことに、杉並の人は、岡崎の彼が逮捕された昨年5月の報道は知っていたといいます。そのときは、私たちも最初そう思ったように、背景に隠された事情がある「何らかの悪意によるもの」と思ったそうです。そのため、その時点では自分のサービスを閉鎖していないわけです。自分のやっていることが正当なものとの自負があったわけです。ところが、岡崎の彼の6月の事情説明を見て、自動アクセスの目的も方法も自分とほとんど同じで、びっくりしてすぐに閉鎖を決めたというのです。「自分も逮捕されたらどうしようと恐れたし、今でも怖い」とのことです。
(略)ここで思い出していただきたいのは、岡崎支部の検察官が取り調べで被疑者に言ったとされることです。(略)「でも他の利用者はそんなこと(プログラムを使ったアクセス)すると思う?」
(略)
◇ウェブは本来どういう場なのか◇
(略)今回の件で警察に電話して抗議した人たちについて、愛知県警は「電話してくる人は、自分も同じことをしているから恐ろしいというが、知識があるならダウンさせないよう気を付けてくれ」と言っていたそうですが、「どういう原因であれ被害を出してはいけない」というのなら、「過失業務妨害罪」を刑法に新設する法改正をしてからにしていただきたい。もちろん、それには国民的合意が必要であることは言うまでもありません。(略)
◇捜査機関は再び同じことを繰り返すか◇
(略)事件が明るみに出た5月、岡崎署に電話取材したとき、O警部補は「過去に起訴事例がある」と言っていました。しかし、過去の報道を検索して前例を調べてみると、いずれも納得がいくものばかりです。動機が「腹いせ」や「恨み」だったり、目的が「スパム(迷惑メール)」だったりするだけでなく、「ISPから警告されていたのにやめなかった」とか「不具合が生じるソフトと知りながら使っていた」など、報道の情報だけで一見して犯罪としてわかる理屈が通ったものばかりです。
愛知県警に誤解があるのかもしれませんが、メールサーバに必要のない大量のメールを送りつけるスパム行為と、ウェブサーバに大量のアクセスを繰り返すことは同じではありません。ウェブは情報を提供するためのものです。愛知県警は「実際にすべてを見られるわけではない膨大な数の閲覧要求」を偽計とみなしたというのですが、岡崎や杉並のケースでは「すべて有効に使っていた」というのが真実です。正当な目的のために必要があって行っていたわけです。(略)
◇気になる「ウイルス作成罪」のゆくえ◇
(略)この記事で法務省刑事局刑事法制管理官室が「検察側が“悪意”を立証する必要はあっても、悪意なきプログラム制作者が“善意”の立証を迫られることはないとご理解ください」とコメントしていて、それが本当なら安心です。
しかし、今回の岡崎の事件はどうでしたか。捜査現場が岡崎と同様なら、他人から見て「ウイルスだ」と言われたときに、「ウイルスではない」という立証を、プログラムを作った本人がしなくてはならなくなるのは目に見えています。(略)
(略)勾留中の取り調べでプログラム制作者が「利用者側が誤った使い方をしたためだ」と釈明すればするほど、検察官には「それだけわかっているなら、未必の故意があったといえる」とみなされて起訴猶予処分にされ、市民が警察に抗議しても、「それはプログラムに詳しい人の一方的な見解にすぎない。ぜひ被害者側の立場で考えて欲しい。知識があるなら間違って実行されないよう気を付けてくれ」と発言、ソフトウェア開発にまた萎縮効果をもたらすのが目に浮かびます。(略)
できるだけ多くの方々に届くとよいのですが……。
*1 「社会・メディア」分野のみを月額262円で購読してすぐに解約した場合。
この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
2017年5月、それは新聞各社のベタ記事報道から始まった。
朝売新聞2017年5月26日朝刊
美術館の電子書籍を破壊 愛崎県警 不正指令電磁的記録作成容疑、32歳を逮捕
岡知市立美術館の電子書籍データを破壊する不正なプログラムを作成、提供したとして、県警生活経済課と岡知署は25日、不正指令電磁的記録作成及び同供用の容疑で、コンピュータソフトウェア制作会社社長を逮捕した。
発表によると、容疑者は、昨年12月、ハードディスクを繰り返し執拗に消去するプログラムを作成し、インターネットのホームページで公開していた。今年3月に市立美術館の主任主査がこれをダウンロードしたところ、美術館の電子書籍データがすべて破壊された。プログラムは35回にわたって繰り返し0(ゼロ)を書き込むよう作られており、誤消去したファイルを元に戻すソフトを使った復旧作業を不可能にしたとされる。
容疑者は、「セキュリティのために情報を消去するプログラムを作成し提供していた。利用者の利便性のために提供していたもので、誤って実行させるつもりはなかった」と容疑を否認しているという。
同美術館によると、システムの保守を委託している業者が復旧を試みたが、バックアップ装置のトラブルで復旧が不可能になったという。
ニュースのことば 不正指令電磁的記録作成罪
コンピュータウイルスによる情報流出などの被害が後を絶たないことから、ウイルスの作成を処罰できるよう、2012年の刑法改正で新設された罪。他人のコンピュータで使われるよう提供する目的で、他人が使用する際の意図に反する動作をする不正なプログラムを作成した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処せられる。
このニュースがネット上に掲載されると、Twitterやスラッシュドットなどで、「この逮捕はおかしいのでは?」という疑問の声が相次いだ。Webプログラマの大柿氏は、岡知署に電話して意見を述べたとのことで、「電話に出た方は納得したようだ」とのことだった。
そこで私も岡知署に電話して意見を述べてみた。市民からのこうした問い合わせや意見に、はたして警察署が相手をしてくれるものだろうかと不安になりながらも電話したところ、意外にも、非常に真摯に丁寧に対応してくださった。*1
私:26日の朝売新聞報道で、不正指令電磁的記録作成及び同供用の容疑で逮捕という報道がありましたが、技術者の観点からすれば、ハードディスクを繰り返し消去するソフトウェアを作って公開するということは、通常よくすることであって、たしかに間違ってそれを使ってしまう人もいるかもしれないですが、それによって逮捕されるとなると、これはちょっと恐ろしい話で、今後の産業の発展に萎縮効果が出るのではないかと懸念するのですが、いかがでしょうか。
警:まだ捜査中ですので、捜査の内容をお伝えすることはできないですので、報道で発表のとおり、そこまでしかお伝えすることはできないですけども、闇雲にただデータが破壊されたということで逮捕したわけではないものですから、そこまでに至るものというのはまだお話でいないですけども。
私:はははー。何かあるんですね?
警:そういうことです。
私:なるほど。
警:通常、高木さんがおっしゃる通りなんですよね。そういった可能性というのは非常にあると思うんですよ。ただそれだけをもってですね、逮捕するということはできないと思うんですよね。
私:そうですよねー。
警:裁判官の許可も当然必要ですし。
私:不正指令電磁的記録作成罪は目的犯ですよね?
警:そうですね。
私:その目的があったと?
警:まだ捜査中ですので、捜査の内容をお伝えすることはできないですが、当然、目的犯ですから、その目的があったときでないと逮捕することはできないと思うんですよね。
私:報道からすると、「誤って実行させるつもりはなかった」のにこのように逮捕されてしまうのかなという感じがそうとう世間で広がってしまっていて、こわいこわいという話が出ているのですね。過去にも事例がなかったと思うのですけども。このような不安感を与える事案というのはなかったと思うのですよね。
警:過去にですが、ケースバイケースで細かいところまではわかりませんが、ファイルを大量の画像に書き換えられたということで同じような不正指令電磁的記録作成罪という起訴事例はあるんですね。
私:でもそのときは、魚介類の画像に書き換えるとか、明らかに本来の用途があるとは思えないプログラムのケースだったり、Winnyネットワークにテレビ番組のファイル名を付けて流していたとか、明らかに騙して実行させようとするケースだったり、最初に報道される時点でそういった情報も出ていたと思うのですね。
警:はいはい。
私:でも今回何もなくて、ただハードディスクを繰り返し消去するプログラムを作っていたという報道が大半で、ごく一部の報道では、「セキュリティのために情報を消去するプログラム」としてそういうものを作ったという供述で、誤って実行させる意図を否認しているという報道も出ておりましたが。
警:はいはい。
私:過去に前例がないと申したのは、通常はなるほどと思う、それは確かに不正指令電磁的記録だなとわかるような点も合わせて報道されていたと思うのですね、かつてあった事例としては。そういうものがない、こういう形で出るというのは今回が初だと思うんですよね。
警:報道の方がですね。
私:でも、報道が出るというのはこれ警察の発表次第ですよね。
警:そうですね。
私:つまりそちらで発表されたその時点で、たしかに不正指令電磁的記録として供用したというのを疑わせるのに十分なだけのポイントというのが、発表になかったのかなと。報道されてないということは。そういう状況でこういうのを流すというのはよくないのではないでしょうか。
警:不安を煽るということですね。わかりました。こういった意見が多々ありますよと、実は高木さんだけじゃないのですねお電話頂いているのは。組織の上層部に上げまして今後検討していかなければいけないのかなと思います。ただ、捜査自体は、不正指令電磁的記録という部分は認められるという情報を持っておりますので、それはそれで進めていきますけども。報道の発表のし方について産業の今後の発展が阻害される、萎縮するのではないかという、不安感を煽っているという方がたくさんみえるということは上層部に伝えたいと思います。
私:はい。是非ご検討頂きたいと思います。
そしてそれから一か月後、Twitterで何かが始まった。
@HiromitsuTakagi 容疑者から見た岡知市立美術館ウイルス事件 http://musehack.jp/
posted at 23:58:20 2017年06月20日 musehack何か始まる? → @musehack
posted at 00:16:10 2017年06月21日 HiromitsuTakagiRT @musehack: #musehack 岡知市立美術館事件の容疑者が事件について解説。 http://musehack.jp/
posted at 01:48:03 2017年06月21日 musehackちょ……。やっぱり。「20日間の勾留と取り調べを経て、不起訴処分(起訴猶予処分)となりました。」http://musehack.jp/readme/ #musehack
posted at 01:50:46 2017年06月21日 HiromitsuTakagi燃えてきた。
posted at 02:03:41 2017年06月21日 HiromitsuTakagi嫌疑不十分の不起訴処分と、起訴猶予の不起訴処分とでは、大違い……という理解はあってますかね。
posted at 02:19:53 2017年06月21日 HiromitsuTakagi仕方がないで済むかよ。 RT @null 警察側にネット業界の常識がないから仕方がない面もあるんだろうけど、酷い話だ。#musehack
posted at 02:32:41 2017年06月21日 HiromitsuTakagi
なんとご本人による事件の解説サイトが登場したのだった。サイトで公開された情報によると、警察や検察でこんな扱いを受けたという。
2017年5月25日7:30 自宅を強制捜査
朝食をとっているとインターホンが鳴った。「ハードディスクを消去するプログラムを公開しているな。大問題だよ、ちょっと悪質だよ、美術館が大変なことになっているよ。」と警部補が令状を読み上げた。
2017年5月25日10:30 連行される車の中での会話
本人「いきなり強制捜査ですか? 美術館で使われているなんて知りませんでしたよ。」
警部補「五菱電機から苦情が来た時点で改良をやめるべきだったね。」
本人「あれは、あのときは『そういうプログラムですので気をつけて扱ってください』と回答しましたよ。」
2017年5月25日11:00 岡知署で取り調べ
調書には一言も言っていない「ウイルスを作成しました。」の表現があって驚いた。
本人「ウイルスとは違いますが。」「結果的に電子書籍データは破壊されてしまったかもしれませんが。」
警部補「そうだよね、結果的に。結果的に。」
逮捕前調書「私は平成28年12月20日に、ハードディスクを繰り返し35回消去するプログラムを作成し、ホームページで公開しました。結果的に、美術館の電子書籍データを破壊することになってしまいました。迷惑をかけた責任は償いたいと思います。」
2017年5月25日17:00 警部補が逮捕状を読み上げ、逮捕された
2017年5月29日 勾留後、岡知署で取り調べ
本人「不正指令電磁的記録作成罪って、どんなものですか?」
警部補「他人のコンピュータで使われるよう提供する目的で、他人が使用する際の意図に反する動作をする不正なプログラムを作成した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処せられる。」「ようするに、ウイルスを作った者は処罰ってことだ。」
本人「あれはウイルスではありません。悪意はありませんし、正当なプログラムだと思っています。」
警部補「裁判官は不正指令電磁的記録と判断している。」
2017年6月10日 検察庁で検察の取り調べ
本人「あれはウイルスではありません。悪意はありませんし、正当なプログラムだと思っています。」
検察官「でも、美術館の人にとってはウイルスだったわけだよ。」
本人「・・・そんな。私にとっては、情報セキュリティに役立てるために作ったプログラムです。」
検察官「でもプロなんだから、間違って実行してしまう人が出るくらいわからないの?」
本人「いやいや。利用者はちゃんと説明を読んで使ってくれると考えますよ、普通。」
検察官「でも、五菱電機の人から苦情が来たわけでしょ。」
本人「そのときは、『そういうプログラムですので気をつけて扱ってください』と回答しました。」
検察官「間違って実行してしまう人がいたことは知ってたわけだね。」
本人「そうですが、フリーソフトの配布というのはそういうものですから。」
検察官「でも、その後も新バージョンをアップロードしてるよね。」
本人「それは、最初のバージョンでは処理速度が遅かったため改良したものです。自分のソフトを改良するのは、ソフトウェア開発者として当然のことです。」
検察調書「私は平成28年12月20日に、ハードディスクを繰り返し35回消去するプログラムを作成し、ホームページで公開した。利用者から、間違ってハードディスクを消してしまったと苦情があったが、『そういうプログラムですので気をつけて扱ってください』と回答した。その後平成29年4月2日に、処理速度を改良した新バージョンを作成し、ホームページのプログラムを更新した。」
2017年6月14日 起訴猶予処分で釈放
警部補「君は人に迷惑をかけて罪を犯したけど、自分のプログラムのミスを認め、反省しているので、検察が起訴猶予にしてくれたよ。」
起訴猶予というのは犯罪はあったということであり、どうしてこれが犯罪になってしまうのか。この事件を追いかけていた朝売新聞の秋葉記者の取材によると、検察の言い分は以下のとおりだという。
記者「不正指令電磁的記録作成罪は目的犯ですが、目的の認定は?」
検察「刑法は『人の電子計算機における実行の用に供する目的で』と規定している。ホームページでプログラムを公開していたことが、この目的に該当する。」
記者「本人はハードディスクを消去するのは正当なプログラムだと主張していますが。」
検察「刑法は『人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録』を不正指令電磁的記録」と規定している。美術館の人が使用した際にはその人の意図に反していたし、ハードディスクを消去するのは『不正な』プログラムだということ。」
記者「不正指令電磁的記録作成罪は故意犯ですが、故意の認定は?」
検察「五菱電機から苦情があった時点で、本人もそれが不正指令電磁的記録となり得ることを認識している。その後もプログラムを改良してホームページを更新しており、未必の故意が認められる。」
私はこの話を聞いて愕然とした。
2012年の刑法改正で新設された不正指令電磁的記録作成等の罪、いわゆる「ウイルス作成罪」は、目的要件の条文が曖昧で問題があると指摘されていたが、国会の審議中に法務省刑事局長が次のように答弁したことで、その立法趣旨は確認されたはずだった。
○歯梨委員(日本無党派党) そこで法務省にお尋ねしますが、この「人の電子計算機における実行の用に供する目的」という、この目的は、どういう意味のことを指すのですか。お答え下さい。
○政府参考人 この「人」という解釈でございますが、刑法の他の規定と同じく、犯人以外の者ということでございます。また、「電子計算機における実行の用に供する目的」とは、人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、またはその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える状態にする目的を意味しております。
したがって、不正指令電磁的記録作成等の罪が成立するためには、不正指令電磁的記録、すなわち、コンピューターウイルスが、犯人以外の者が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせないか、またはその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える状態にする目的を犯人が有していることが必要でございます。*2
つまり、いくらプログラムが美術館の人にとってウイルスだからといって、それでこの犯罪が成立するわけではなく、プログラムを作成した本人の目的として、それが誰かにウイルスとして実行されること目的としていることが必要なはずだ。そういう立法趣旨ではなかったのか?
このことについてTwitterで問題提起してみたが、法律関係者の反応は冷たいものだった。
この検察の言い分、目的要件の解釈が間違ってませんか。
posted at 22:40:21 2017年07月18日 HiromitsuTakagi法律は条文通りに解釈するのが基本ですから、「人の電子計算機における実行の用に供する目的で」なので、ホームページで誰でもダウンロードできる状態にしていれば、「人」つまり他人のコンピュータの実行に使われるよう提供している目的があるととられますね。
posted at 22:58:57 2017年07月18日 Null
実は私は、最初の逮捕報道の翌日に、美術館に電話して現場の担当者と話をしていた。そのやり取りはこういうものだった。
私:あなた方の、プログラムの扱い方が悪いだけなんじゃないでしょうか。
美:まあそれはどういうふうかというのはちょっと何とも言えないですけどね、ええ。
私:こんなことで逮捕されるんでは、産業の発展が阻害されると思うんですけども。
美:はあなるほどはい。
私:そういった公的な美術館としての責任として、ネットからダウンロードしたフリーソフトが、どういうプログラムなのかろくに確認もせずに、不用意に実行して、
美:はいはい。
私:警察沙汰にして、
美:ええ。
私:こういうことが出てしまうと、たとえばNext-Mのようなフリーソフトを作って皆で使おうとしても、日本ではできないということになってしまいますね。
美:はあなるほどはい。
私:一人でも説明読まずにいいかげんに使う人がいて、自分で破壊してしまう場合にですね、
美:まあいいかげんかどうかっていうのはまあ、そちらの方はそういうふうに思われるんだということと思いますけども。
私:そういうときに、すぐ警察っていうのは、いかがなものかと思うんですが。
美:はあなるほどねはい。そういうご意見としては承ります。はい。
こんなことではへたにフリーソフトを公開できなくなってしまう。
あるプログラマのブロガーが、愛崎県警生活経済課に電話して抗議したときの様子をブログに掲載した。
- 警察の考え方として、立件したのは、事実として岡知市立美術館がそのプログラムによりデータが破壊され復旧不能な状態に陥っているから。警察は常に被害者の立場での問題に対処している。
- (ハードディスクを35回繰り返し消去するプログラムというのは世間ではよくあるプログラムであり、またフリーソフトの公開というのは普通こういうものだ、との質問に対して)「それはプログラムに詳しい方の一方的な見解に過ぎない。ぜひ美術館側の立場で考えて欲しい。不用意なプログラムを一般公開されて、誤って実行してしまった美術館側としては非常に困る事態に陥っている。作成者側の事情や立場に立つのではなく、警察は被害者側の立場で対応する。これはネット上でどうというよりも、実際に現実世界で被害を受けた方々がいることが重要視される。」
- 考えて頂きたいのは、これまでネットの中では通用してきたかも知れないが、今日においてはネットにそれほど通じていない人々もネットへ参加してきているということだ。実際被害が出ていて困っている人々がいることは理解して欲しい。ネットに詳しい人だけが分かればいい問題ではない。
- 常にパソコンに理解の深い人だけが参加しているのではないという理解をして欲しい。その上で、ハードディスクを消去する前に必ず確認の画面を二重三重に出すような安全処置をして欲しいし、データがもう破壊されているのに消去を常識外れに繰り返すなどの利用は普通はしないと思う。
岡知市立美術館事件 #musehack について愛崎県警に電話して聞いてみた, 2017年6月24日*3
これを見て私も再び岡知署に文句を言おうと思い電話した。電話に出たのは、岡知署でこの事件の取り調べ調書をとるのを担当した警部補さんで、とても優しい語り口の人だった。*4
私:情報処理の技術者たちからすれば、これ通常普段からやってて起きることなんですが。これで逮捕されるのかと、本当にIT技術者達が今萎縮してしまっていて、大変社会的に問題が大きいと思うので関心を持って事実は何なんだということを調べているのですが。
警:心配されとるようにですね、一般の方々とかそういう企業さんが、そういうプログラムを公開している行為自体を警察が取り締まろうっていう考えでやってないもんですから。これまでどおりにやって頂ければいいんですが。
私:今回も会社の社長ですが……
警:会社の社長さんがその業務を通じてやってる行為については、取り締まる必要はないと思いますし、警察も取り締まろうということでやったわけではないもんですから。
私:ははあ。
警:会社の社長さんでもですね、会社の業務を外れてっていう部分も、自分の家でパソコンを触ってっていう部分も出てきますのでね。その中で、犯罪行為に該当する部分をやればですね、会社の……、会社の業務と一律に、会社の業務でやったと伝えてるわけではないもんですのでね、警察の方も。
私:??……。 犯罪を構成するか否かが、会社の業務としてやっているか個人でやっているかで、その判断が変わるというのは、おかしいのではないかと思うんですけども?
警:それはその、プログラムを開発して提供するのがうちの業務だっていうことでですね、その会社の社長さんがですね、ある特定のプログラムをですね、仕事の名目にかけたから、「俺は仕事でやっているんだ」という言い訳も立ちますよね。そこの部分も捜査する必要があるもんですから。
私:え? えーと、
警:会社の社長さんがそういう行為をやったからといって、会社の仕事でやってるんだからっていうことで、すべてがオッケーになるわけではないですよね。
私:ええはい。そうですよね、ですから、
警:それを捜査するための部分もありますし、
私:先ほどおっしゃったのは違うってことですね、つまり、「会社で普通にやっていることについて取り締まるつもりはないですよ、今回個人なのかもしれないので」とおっしゃいましたけども、実際のところは、会社だから個人だからという問題ではなくて、そこで行われていることが犯罪を構成するかがポイントですよね。
警:なんで、それを捜査する必要があったんで今回は逮捕という流れにはなっているんですが。
私:しかし、よくあることなんですよね、ハードディスクを消去するプログラムを一般公開するというのは。情報技術業界からすればですね。
(以下略)
企業が提供しているプログラムなら警察が取り締まることはないから安心しろというのだが、いったいどういうことなのか。ちょっとイラっとしてしまったので、よくわからないやり取りになってしまった。
一方そのころ、Twitterの #musehack 界隈では、この事件の議論は行き詰まり、暗い空気に包まれていた。そんな中でこんなツイートが注目を集めていた。
プログラマの妻に #musehack のことを話したが、「自分の都合だけでろくに説明書を付けないで、執拗に35回も消去するプログラムを公開するのは陰湿で気持ち悪い人間だから、逮捕されて当然」と言われた。
posted at 14:37:12 2017年08月23日 Null
こういう人もいるのか……。これを受けて私はこんなブログを書いた。
マカーならディスクユーティリティ使い倒してきたよな - 2017年8月24日の日記
しかしこの事件はその後、とくに何ら進展を見せることはなく、フリーソフトを提供するサイトは次々と閉鎖されていった。そして、2019年、日本のフリーソフト文化はほぼ消滅した。
(おわり)
この物語はフィクションであり、登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
*1 岡崎図書館事件における、岡崎署への最初の問い合わせ(2010年7月10日の日記)からの改変。
*2 2005年7月12日の衆議院法務委員会における大林宏刑事局長の答弁からそのまま転載。
*3 岡崎図書館事件における「岡崎市立中央図書館事件 #librahack について愛知県警に電話して聞いてみた」および「とある件 #librahack に関連しつつ一般論を再度電話して聞いてみた」からの改変。
*4 岡崎図書館事件における、私が2010年6月21日に岡崎署に電話したときのやりとりから改変。