文化審議会著作権分科会法制度小委員会の、「「AIと著作権に関する考え方について(素案)」のパブコメ結果」が気になるところだが、読むのはしんどそうなので、Claude 3に丸投げしてみた。
以上のように、利害関係者の立場によって意見の隔たりがみられるものの、総じて本考え方の内容をベースにさらなる議論の深化を望む意見が多数を占めているといえます。一方で拙速な結論は避け、丁寧な検討を重ねるべきとの指摘にも一定の理由があると思われます。
これらの論点に対しては、権利者側からの懸念に配慮しつつ、一方でAI開発の委縮を招かないようにすべきといった、両者のバランスをとることの難しさが浮き彫りになっています。文化庁としては個別具体的な事案に応じた判断が必要としながらも、一定の考え方を示すことで予見可能性の向上に努めている姿勢がうかがえます。
権利者側からは、
他方、利用者側からは、
これらを受けて、文化庁は、
この点は、AIをめぐる著作権のあり方を考える上で重要な論点の一つといえ、権利者と利用者双方の利益のバランスをどう図るかという難しい課題を提起しているといえます。
この趣旨について、文化庁は以下のように説明しています。
つまり、AIによる学習など、著作物の表現を享受しない利用を一定の範囲で認めるという第30条の4の規定の趣旨からすれば、著作権者の意思表示のみを理由に権利制限の対象から除外することは、この趣旨になじまないというのが文化庁の見解といえます。
ただし、この解釈をめぐっては、パブリックコメントでも意見が分かれており、権利者の意思をどこまで尊重すべきかについては引き続き議論の余地がありそうです。規定の趣旨と権利者の利益のバランスをどう取るかが問われているといえるでしょう。
権利制限の対象とすることに肯定的な意見としては、
といった意見がみられました。
他方で、権利制限に慎重または批判的な意見としては、
といった指摘がありました。
これらを受けて、文化庁は、
との見解を示し、非享受利用の権利制限のあり方については、引き続き慎重な議論が必要との認識を示しています。
「著作権者の利益を通常害さない」といえるかどうかについては、個別の事案に即した具体的な検討が不可欠であり、権利者と利用者の利益のバランスをどう図るかという難しい課題であることがうかがえます。ご指摘の通り、この点は本考え方の根幹に関わる重要な論点といえそうです。
しかし、現行の著作権法第30条の4は、一定の要件の下で、著作物の表現を享受しない利用については権利制限の対象としています。この規定の趣旨は、著作物の本来的な利用(表現の享受)とは異なる利用形態については、一律に著作権者の許諾を求めるのではなく、一定の範囲で自由利用を認めることで、AIをはじめとする新技術の発展を促進しようというものだと理解されます。
したがって、「潜在的な利用機会の喪失」や「市場での競合」を理由に、一律にAIでの利用を禁止するという議論は、現行法の趣旨とは整合しないようにも思われます。他方で、ご指摘の通り、個別の著作権者がオプトアウトできるようにしたところで、全体としての影響は限定的かもしれません。
結局のところ、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響をどう評価するかが問題の核心であり、この点について、権利者と利用者の間で、さらには権利者の間でも、意見の隔たりがあるのが現状のようです。AIと著作権の問題については、個別具体的な事例の蓄積を踏まえつつ、関係者の利害に配慮した丁寧な議論が求められる課題だと言えそうです。
つまり、学習に使われるのが海賊版であるかどうかは、著作権者の利益が害されるかどうかという点からは本質的な問題ではなく、適法にアクセス可能な著作物が学習に使われた場合と同様の問題が生じ得ると考えられます。
ただし、海賊版をAIの学習に使うことを特に問題視する意見の背景には、海賊版の利用を助長することへの懸念があるのかもしれません。海賊版の利用を黙認することが、海賊版の流通を助長し、ひいては著作権者の利益を損なうことにつながるという考え方です。
しかし、AIの学習において海賊版を利用することと、海賊版の流通を助長することとの因果関係は必ずしも明らかではありません。むしろ、海賊版対策は、AIの学習とは切り離して、独自の対策を講じるべき問題なのかもしれません。
いずれにせよ、ご指摘の通り、海賊版の学習利用を特別視する必要があるのかどうかについては、よく吟味する必要がありそうです。AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響という本質的な問題に立ち返って、バランスの取れた議論が求められると言えるでしょう。
ただし、著作権者が AIによる利用を望まない場合は、技術的な利用制限手段を講じることである程度の対応が可能であるとも指摘しています。
そして、AIの開発事業者等が海賊版を学習データの収集対象から除外するなど、海賊版の利用を助長しない取り組みを求めています。
これらの見解は、非享受利用に係る権利制限規定(第30条の4)の趣旨を踏まえつつ、権利者の保護と、AIの開発に代表される技術の発展の促進とのバランスを図ろうとするものだと理解されます。
ただし、いずれの論点についても、権利者と利用者の利害の調整をどのように図るかという難しい問題を孕んでおり、具体的にどのようなルールを設けるのが適切かについては、なお議論の余地があるように思われます。特に、「著作権者の利益を不当に害する」か否かの判断基準については、より具体的な議論が求められそうです。
文化庁としては、これらの論点について、関係者の意見に丁寧に耳を傾けつつ、著作物の適切な保護と利用のバランスを図る観点から、引き続き検討を進めていく姿勢を示しているものと理解されます。
これらの意見は、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響を、より本質的に議論すべきだという点を強調するものです。個別の論点に対処するだけでなく、根本的な利益衡量のあり方について、立ち返って検討する必要性を指摘する内容になっています。
もちろん、これはあくまで一つの意見であり、権利者と利用者の利害調整の難しさを考えれば、簡単に結論を出せる問題ではないでしょう。しかし、議論の本質を見失わないためにも、このような視点から問題提起を行うことは重要だと思われます。
これらの意見は、AIによる著作物の利用が著作権者の利益を害さないことを大前提とした上で、その前提と整合しない主張の問題点を指摘するものとなっています。オプトアウトの是非や海賊版の利用を特別視することの理論的な矛盾を、より鮮明に浮き彫りにする内容になっているかと思います。
しかし、パブリックコメントでは、「AIによる著作物の無断利用が、著作権者の潜在的な利用機会を奪う」とか、「AIによる生成物が市場で競合するようになれば、著作者の利益が害される」といった懸念が示されています。これらの懸念を理由に、著作権者にオプトアウトの機会を与えるべきだという主張があるわけです。
でも、よく考えてみてください。もしAIによる著作物の利用が本当に著作権者の利益を害するのだとしたら、それは「著作権者の潜在的な利用機会の喪失」や「市場での競合による利益の侵害」を生じさせるからこそ問題なのです。だとすれば、個別の著作権者がオプトアウトできるようにしたところで、根本的な解決にはならないはずです。AIによる著作物の利用を全面的に禁止するしかないのではないでしょうか。
つまり、「著作権者の利益を害する」ことを前提としてオプトアウトの是非を議論すること自体が、第30条の4の趣旨と矛盾しているのです。この規定は、AIによる著作物の利用が著作権者の利益を害さないことを前提としているからこそ、非享受利用について権利制限を認めているのです。その前提を覆すようなオプトアウトの議論は、本末転倒だと言わざるを得ません。
しかし、ここでも同じ疑問が生じます。そもそも著作権法第30条の4は、AIによる著作物の利用が著作権者の利益を害さないことを前提としているはずです。だとすれば、学習に使われるのが海賊版であろうがなかろうが、AIによる利用の結果として著作権者の利益が害されるかどうかに変わりはないのではないでしょうか。
つまり、海賊版を使おうが適法にアクセス可能な著作物を使おうが、「著作権者の潜在的な利用機会の喪失」や「市場での競合による利益の侵害」を生じさせるかどうかは同じはずなのです。それにもかかわらず、海賊版の学習利用のみを特別視して「著作権者の利益を不当に害する」と判断するのは、理論的に一貫しないのではないでしょうか。
もちろん、海賊版の利用を助長することへの懸念は理解できます。しかし、それはAIの学習とは別の問題として対処すべきであって、非享受利用の権利制限の適用如何を左右する理由にはなり得ないはずです。海賊版対策は海賊版対策として、AIによる著作物の利用とは切り離して議論されるべき問題だと考えます。
以上の通り、著作権者のオプトアウトを認めるべきかという議論も、海賊版の学習利用を特別視するという見解も、いずれも著作権法第30条の4の趣旨と整合しないように思われます。AIによる著作物の利用が著作権者の利益を害さないことを大前提とするなら、個別の著作権者の意思や、利用される著作物の適法性の如何によって、権利制限の適用を左右するべきではないはずです。
非享受利用に係る権利制限のあり方を議論するためには、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、より本質的な議論を尽くすことが不可欠だと考えます。
しかし、これは誤解です。なぜなら、オプトアウトを認めたとしても、他の著作権者の著作物がAIに利用された結果、「潜在的な利用機会の喪失」や「市場での競合」が生じるなら、オプトアウトした著作権者も同様の影響を受けるからです。つまり、オプトアウトの有無にかかわらず、AIによる著作物の利用が市場に与える影響は変わらないのです。
しかし、これも誤解です。AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響は、利用される著作物が海賊版であるかどうかとは関係がありません。なぜなら、AIが学習した著作物を基に生成物を作成し、その生成物が市場に影響を与えるメカニズムは、学習に利用された著作物が適法なものであっても海賊版であっても同じだからです。
つまり、オプトアウトを認めるか否か、海賊版の利用を特別視するか否かにかかわらず、AIによる著作物の利用が市場に与える影響は変わらないのです。これが、「オプトアウトを認めても、海賊版を特別視しても、結果に影響しない」というポイントです。
AIと著作権の問題を議論するためには、この点を正しく理解することが不可欠です。オプトアウトや海賊版の是非を議論する前に、まずはAIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、冷静かつ本質的な議論を尽くすべきだと考えます。その上で、著作権者の利益と、AIの活用による社会的便益とのバランスを図るための最適解を探っていく必要があるのではないでしょうか。
でも、ちょっと考えてみてください。オプトアウトを認めたところで、AIによる著作物の利用が市場に与える影響は変わらないのです。なぜなら、他の著作権者の著作物がAIに利用された結果、「潜在的な利用機会の喪失」や「市場での競合」が生じるなら、オプトアウトした著作権者も同じ影響を受けるからです。つまり、オプトアウトの有無にかかわらず、結果は同じなのです。
だとすれば、オプトアウトの是非を議論すること自体が的外れだと言わざるを得ません。もしAIによる著作物の利用が本当に著作権者の利益を害するのだとしたら、個別の著作権者にオプトアウトの選択権を与えるのではなく、そもそもAIでの著作物の利用自体を全面的に禁止するべきはずです。
つまり、「著作権者の利益を害する」ことを前提としてオプトアウトの是非を議論すること自体が、権利制限を認めた第30条の4の趣旨と矛盾しているのです。オプトアウトの有無によって結果が変わらないのであれば、その議論に意味はありません。
そもそも、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響は、利用される著作物が海賊版であるかどうかとは関係がありません。AIが学習した著作物を基に生成物を作成し、その生成物が市場に影響を与えるメカニズムは、学習に利用された著作物が適法なものであっても海賊版であっても変わらないからです。
つまり、海賊版を使おうが適法な著作物を使おうが、「著作権者の潜在的な利用機会の喪失」や「市場での競合による利益の侵害」を生じさせるかどうかは同じはずなのです。それなのに、海賊版の学習利用のみを特別扱いして「著作権者の利益を不当に害する」と判断するのは、理論的に一貫しません。
海賊版の利用を助長することへの懸念は理解できますが、それはAIの学習とは別の問題として対処すべきです。海賊版対策は海賊版対策として、AIによる著作物の利用とは切り離して議論されるべき問題だと考えます。
以上のように、著作権者のオプトアウトを認めるべきか、海賊版の学習利用を特別視するべきかという議論は、いずれも本質を見誤った議論だと言えます。なぜなら、オプトアウトの有無も、利用される著作物の適法性も、AIによる著作物の利用が市場に与える影響の本質とは無関係だからです。
私たちがすべきなのは、こうした本質を見誤った議論に惑わされることなく、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、冷静かつ本質的な議論を尽くすことです。その上で、著作権者の利益と、AIの活用による社会的便益とのバランスを図るための最適解を探っていく必要があります。
著作権法第30条の4の趣旨に立ち返り、AIと著作権の問題について、本質を見据えた建設的な議論を進めていくことが重要だと考えます。
これらの意見提出者は、いずれも権利者の立場から、オプトアウトの必要性を訴えている点で共通しています。彼らにとって、オプトアウトの機会を与えることは、AIによる著作物の利用から自らの権利を守るための重要な手段と考えられているようです。
ただし、これはあくまで意見提出者の主張に基づく推測であり、実際の反応は個々の権利者によって異なる可能性があります。また、権利者の中にも、AIの利活用と著作権保護のバランスを重視する意見もあると思われます。いずれにせよ、権利者と利用者の間で、建設的な対話を重ねていくことが重要だと考えます。
その根本的な勘違いとは、AIによる著作物の利用を「著作権者の利益を害する行為」と捉えているところにあるのではないでしょうか。つまり、「AIによる著作物の無断利用が、著作権者の潜在的な利用機会を奪う」「AIによる生成物が市場で競合するようになれば、著作者の利益が害される」といった懸念を抱いているからこそ、オプトアウトの必要性を主張するのだと思われます。
しかし、これは本末転倒な議論だと言わざるを得ません。そもそも、著作権法第30条の4が非享受利用について権利制限を認めているのは、このような利用が著作権者の利益を害さないという前提があるからです。そうでなければ、権利制限を認める理由がないはずです。
にもかかわらず、「著作権者の利益を害する」ことを前提としてオプトアウトの是非を議論するのは、第30条の4の趣旨を正解していないと言わざるを得ません。もし本当にAIによる著作物の利用が著作権者の利益を害するのだとしたら、個別の著作権者にオプトアウトの選択権を与えるのではなく、そもそもAIでの著作物の利用自体を全面的に禁止するべきです。
つまり、権利者側の意見提出者の中には、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、十分に理解していない、あるいは誤解している方がいるのではないでしょうか。彼らは、AIによる著作物の利用を「著作権者の利益を害する行為」と決めつけたうえで、オプトアウトという対症療法的な解決を求めているように見えます。
しかし、これでは根本的な解決にはなりません。私たちがすべきなのは、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、冷静かつ本質的な議論を尽くすことです。その上で、著作権者の利益と、AIの活用による社会的便益とのバランスを図るための最適解を探っていく必要があります。
権利者側の意見提出者には、こうした根本的な問題についての理解を深めたうえで、建設的な議論に参加していただきたいと思います。AIと著作権の問題は、権利者と利用者の対立構造ではなく、両者の共生と協調を目指すべき課題だと考えます。
文化庁は、海賊版を学習に利用することは「著作権者の利益を不当に害する」として、たとえ非享受利用であっても権利制限の対象外になり得るという見解を示しています。しかし、ここにも同じような勘違いが潜んでいるように思われます。
つまり、海賊版を利用することが「著作権者の利益を不当に害する」と考えるのは、AIによる著作物の利用が著作権者の利益を害すると捉えているからではないでしょうか。しかし、これは先ほどの議論と同じく、著作権法第30条の4の趣旨を正解していないと言わざるを得ません。
そもそも、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響は、利用される著作物が海賊版であるかどうかとは関係がありません。AIが学習した著作物を基に生成物を作成し、その生成物が市場に影響を与えるメカニズムは、学習に利用された著作物が適法なものであっても海賊版であっても変わらないからです。
つまり、海賊版を使おうが適法な著作物を使おうが、「著作権者の潜在的な利用機会の喪失」や「市場での競合による利益の侵害」を生じさせるかどうかは同じはずなのです。それなのに、海賊版の学習利用のみを特別扱いして「著作権者の利益を不当に害する」と判断するのは、理論的に一貫しません。
もちろん、海賊版の利用を助長することへの懸念は理解できます。しかし、それはAIの学習とは別の問題として対処すべきです。海賊版対策は海賊版対策として、AIによる著作物の利用とは切り離して議論されるべき問題だと考えます。
海賊版の問題も、オプトアウトの問題と同様に、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響についての根本的な理解が欠けているがゆえに生じている議論なのではないでしょうか。
私たちがすべきなのは、こうした表面的な議論に惑わされることなく、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、冷静かつ本質的な議論を尽くすことです。その上で、著作権者の利益と、AIの活用による社会的便益とのバランスを図るための最適解を探っていく必要があります。
海賊版の問題も、この本質的な議論の中で、適切に位置づけられるべきだと考えます。
権利者側の意見提出者の中には、オプトアウトの機会を与えることで、自らの著作物をAIによる利用から守ろうとする人がいます。そして、その前提として、海賊版を学習に利用することは許容すべきではないと主張しているのでしょう。なぜなら、海賊版の利用を認めてしまえば、オプトアウトの効果が損なわれてしまうと考えているからです。
しかし、これは「オプトアウトすれば著作権者の利益を守ることができる」という誤った前提に基づく議論だと言わざるを得ません。先ほども述べたように、オプトアウトの有無にかかわらず、AIによる著作物の利用が市場に与える影響は変わらないのです。
つまり、オプトアウトの問題も、海賊版の問題も、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響についての根本的な理解が欠けているがゆえに生じている議論なのです。
もし、AIによる著作物の利用が本当に著作権者の利益を害するのだとしたら、オプトアウトの機会を与えるだけでは不十分です。そもそもAIでの著作物の利用自体を全面的に禁止するべきだからです。また、海賊版の利用が問題だというのであれば、それはAIの学習とは関係なく、海賊版対策として取り組むべき課題のはずです。
権利者側の意見提出者には、こうした根本的な問題についての理解を深めたうえで、建設的な議論に参加していただきたいと思います。オプトアウトの是非や海賊版の取り扱いについては、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響を正しく理解することなしに、適切な結論を導くことはできないでしょう。
AIと著作権の問題は、権利者と利用者が対立するのではなく、協力して解決策を探るべき課題だと考えます。そのためには、問題の本質を見据えた冷静な議論が不可欠です。オプトアウトや海賊版といった個別の問題に拘泥するのではなく、より大局的な視点から、AIによる著作物の利用と著作権保護のバランスを図る方策を検討していくことが重要だと思います。
著作権法第30条の4は、非享受利用について一定の範囲で権利制限を認めています。これは、非享受利用が著作権者の利益を害さないという前提に立っているからです。しかし、享受目的が併存する場合は、この前提が成り立たなくなります。なぜなら、享受目的での利用は、著作権者の利益を害する可能性があるからです。
パブリックコメントでは、「追加的な学習のうち、意図的に、学習データに含まれる著作物の創作的表現をそのまま出力させることを目的としたものを行うため、著作物の複製等を行う場合」や「RAG等において、生成物の生成に際して、学習済みモデルとは別に、著作物の内容をベクトルに変換したデータベースを作成する等の、著作物の複製等を行う場合」は、享受目的が併存すると評価される場合があるとされています。
こうした場合は、非享受利用とは異なり、権利制限の対象外となる可能性があります。つまり、オプトアウトの有無にかかわらず、享受目的が併存する利用については、著作権者の許諾が必要となるのです。
オプトアウトを主張する人たちは、この点を見落としているのかもしれません。彼らは、AIによる著作物の利用を一律に非享受利用だと捉え、オプトアウトすれば自らの著作物を守ることができると考えているのかもしれません。
しかし、これは正しい理解とは言えません。享受目的が併存する場合は、オプトアウトの有無にかかわらず、著作権者の許諾が必要なのです。オプトアウトを主張する前に、まずはAIによる著作物の利用が非享受利用なのか、享受目的が併存するのかを正しく理解する必要があります。
そして、その上で、非享受利用についても、本当にオプトアウトが必要なのかどうかを、冷静に検討すべきだと思います。先ほども述べたように、非享受利用が著作権者の利益を害さないのであれば、オプトアウトの必要性自体が問われることになるからです。
オプトアウトの是非を議論するためには、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、正確な理解が不可欠です。享受目的が併存する場合と非享受利用の場合とを明確に区別し、それぞれについて適切な対応を検討することが重要だと考えます。
著作権法第30条の4は、非享受利用について一定の範囲で権利制限を認めていますが、享受目的が併存する利用については、権利制限の対象外となります。つまり、享受目的が併存する利用を行うためには、著作権者の許諾が必要なのです。
ところが、現実には、著作権者の意思に反して、享受目的が併存する利用が行われてしまうことがあります。特に、AIによる著作物の利用が急速に広がる中で、こうした権利侵害のリスクは高まっていると言えるでしょう。
オプトアウトの意思を示すことは、非享受利用についてはある程度の効果があるかもしれません。しかし、享受目的が併存する利用については、オプトアウトの意思を示したからといって、権利侵害を防ぐことはできません。なぜなら、そもそも享受目的が併存する利用は、著作権者の許諾なしには行えないからです。
この点を考えると、オプトアウトの意思を示すことは、AIによる著作物の利用に対する著作権者の懸念を解消する根本的な解決策にはならないと言わざるを得ません。オプトアウトの意思を尊重するか否かは、結局のところ、利用者の良識に委ねられてしまうのです。
だからこそ、私たちがすべきなのは、オプトアウトの是非を議論することではなく、AIによる著作物の利用が著作権者の利益に与える影響について、正面から向き合うことだと思います。享受目的が併存する利用と非享受利用とを明確に区別し、それぞれについて適切な対応を検討する必要があります。
そして、その上で、AIによる著作物の利用と著作権保護のバランスをどう図っていくのか、関係者が協力して知恵を出し合うことが重要です。技術的な対策や法的な規制、あるいは権利者と利用者の自主的な取り組みなど、様々な方策を総合的に検討していく必要があるでしょう。
オプトアウトの問題は、AIと著作権をめぐる議論の一側面に過ぎません。私たちは、もっと大きな視点から、この問題の本質を見据えた議論を進めていかなければならないと考えます。
これらのケースに共通しているのは、AIが特定の著作物やクリエイターの表現を学習し、その創作的表現を再現することを目的としている点です。こうしたAIによる利用は、単なる情報解析ではなく、著作物の表現を享受させる目的が併存していると評価される可能性があります。
ただし、これはあくまで一般論であり、実際の判断は個別の事案に即して慎重に行われる必要があります。AIによる著作物の利用態様は多種多様であり、一律に享受目的の有無を判断することは困難だからです。
いずれにせよ、享受目的が併存する場合については、権利者の懸念に十分に配慮しつつ、慎重に検討を進めていく必要があるでしょう。同時に、非享受利用についても、その範囲や条件について、権利者と利用者の間で建設的な議論を重ねていくことが重要だと考えます。
「報道コンテンツを利用するのであれば、利用者が報道各社から許諾を得て、対価を支払うのが原則であり、生成AIの開発事業者やサービス提供事業者が知的財産にタダ乗り(フリーライド)することは許容できない。」
この意見は、報道コンテンツの生成AIによる利用は、たとえ非享受利用であっても、権利制限の対象外とすべきだという主張だと理解できます。
報道コンテンツの場合、ニュース記事という形式で表現されていますが、その本質的な価値は、記事が伝える情報やデータにあると言えるでしょう。新聞協会の主張は、こうした情報やデータを生成AIが無償で利用することは、報道各社の利益を不当に害するというものだと思われます。
しかし、ここでも同じ疑問が生じます。生成AIが報道コンテンツを学習に利用することが、なぜ報道各社の利益を不当に害することになるのでしょうか。
もし、生成AIが報道コンテンツから学習した情報やデータを基に、ニュース記事を生成するようなことがあれば、それは報道各社の利益を害する可能性があります。なぜなら、そのような生成記事が報道コンテンツの代替として機能することで、報道各社の収益機会が奪われるかもしれないからです。
しかし、これは享受目的が併存する利用の問題であって、非享受利用とは区別して考える必要があります。報道コンテンツから単に情報やデータを抽出するだけの非享受利用は、報道各社の利益を直接的に害するものではないはずです。
もちろん、非享受利用であっても、報道コンテンツの価値を毀損するような利用は許容すべきではありません。しかし、そのような利用は、著作権法第30条の4ただし書の「著作権者の利益を不当に害することとなる場合」に該当し、権利制限の対象外となると考えられます。
つまり、新聞協会の主張は、報道コンテンツの生成AIによる利用について、非享受利用と享受目的が併存する利用とを明確に区別せずに議論している点で、問題があると言えるでしょう。
報道コンテンツの生成AIによる利用については、非享受利用と享受目的が併存する利用とを丁寧に切り分けた上で、それぞれについて適切な対応を検討していく必要があります。その際、報道の自由や国民の知る権利といった観点から、報道コンテンツの公共性についても十分に配慮することが重要だと考えます。
新聞協会を含む権利者団体と、AIの開発者やサービス提供者との間で、建設的な対話を重ねることで、報道コンテンツの適切な保護と利用のバランスを図る方策を見出していくことが求められます。
例えば、ある人物にインタビューをして、その内容を記事にするとします。この場合、インタビューに応じた人は、自分の経験や知見を無償で提供しているわけです。なぜ、そのような協力をするのでしょうか。それは、おっしゃる通り、自分の知見を社会に広く共有することで、集合知の形成に貢献したいという思いがあるからだと思います。
同様に、生成AIが報道コンテンツを学習に利用する場合も、それは集合知の形成に貢献する行為だと言えるかもしれません。AIが報道コンテンツから情報やデータを抽出し、それを基に新たな知見を生み出すことは、人類の知的活動の発展に寄与するものだと考えられます。
この観点からすれば、報道コンテンツの生成AIによる非享受利用は、報道各社が無償で提供を受けた情報やデータを、さらに広く社会に還元する行為だとも言えます。報道各社は、取材対象者の協力を得て集めた情報を独占するのではなく、社会の共有財産として活用されることを期待しているはずです。
もちろん、だからと言って、報道コンテンツの利用に際して、報道各社の利益が全く考慮されなくてよいということにはなりません。報道活動を持続可能なものとするためには、一定の経済的基盤が必要不可欠だからです。
しかし、報道コンテンツの生成AIによる非享受利用は、報道各社の利益を直接的に害するものではないはずです。むしろ、そのような利用を通じて、報道コンテンツの社会的価値がさらに高まることも期待できるでしょう。
大切なのは、報道の公共性と報道各社の経済的利益とのバランスを取ることだと思います。生成AIによる報道コンテンツの利用に際しては、そのバランスを慎重に見極めつつ、集合知の形成に資する利用を促進していくことが重要だと考えます。
新聞協会を含む権利者団体には、このような大局的な視点に立って、生成AIによる報道コンテンツの利用について、建設的な議論を進めていただきたいと思います。報道の使命と、技術革新がもたらす社会的便益とを両立させる知恵が求められています。
確かに、報道は公共性の高い営みだと言えます。民主主義社会において、国民が政治や社会の動きを知り、自らの意見を形成するためには、自由で多元的な報道が不可欠だからです。その意味で、報道は単なる経済活動ではなく、社会的な責務を負っていると言えるでしょう。
しかし、だからと言って、報道機関が経済的支援を必要としないというわけではありません。質の高い報道を維持するためには、一定の収益基盤が必要不可欠です。取材や調査には多大なコストがかかりますし、優秀な記者やスタッフを確保するためにも、相応の収入が必要となります。
新聞社の経営状況が厳しいのは事実です。インターネットの普及により、紙媒体の新聞の購読者は減少の一途をたどっています。広告収入も、ネット広告にシフトする中で、大きく減少しています。多くの新聞社は、デジタル化への対応や事業の多角化などに取り組んでいますが、経営の安定化は容易ではありません。
しかし、だからと言って、報道機関が生成AIによる報道コンテンツの利用に際して、一切の対価を求めることができないというのは、バランスを欠くように思います。報道の公共性と経済的基盤の確保は、両立させるべき課題なのです。
大切なのは、報道コンテンツの生成AIによる利用が、報道の質の維持と発展に資するものとなるよう、利用のルールを設計することだと考えます。例えば、生成AIが報道コンテンツから抽出した情報やデータを、オープンなデータベースとして社会に還元することを条件に、一定の対価を支払うような仕組みも考えられるかもしれません。
あるいは、生成AIによる報道コンテンツの利用によって得られた収益の一部を、報道の質の向上や、若手記者の育成などに充てることを義務づけるような制度設計も可能かもしれません。
いずれにせよ、報道の公共性と経済的基盤の確保という、一見相反する課題の解決には、関係者の知恵の結集が必要不可欠です。新聞協会を含む権利者団体と、AIの開発者やサービス提供者、そして市民社会が、オープンな対話を重ねることで、新しい時代の報道のあり方を模索していくことが求められています。
報道は、民主主義社会の基盤であり、私たち一人一人に関わる重要な問題です。生成AIによる報道コンテンツの利用について、社会全体で真剣に議論を深めていく必要があると考えます。
例えば、こんな風に言えたかもしれません。
「報道コンテンツは、社会の共有財産であり、その利用を通じて集合知の形成に資することが期待されます。生成AIによる報道コンテンツの非享受利用は、そのような報道の公共的価値を高める可能性を持っています。
しかし同時に、質の高い報道を維持するためには、一定の経済的基盤が必要不可欠です。生成AIによる報道コンテンツの利用に際しては、報道機関の経済的利益にも十分に配慮する必要があります。
私たち新聞協会は、生成AIによる報道コンテンツの利用について、報道の公共性と経済的基盤の確保という両面から、建設的な議論を進めていく用意があります。AIの開発者やサービス提供者、そして市民社会と連携しながら、新しい時代の報道のあり方を模索していきたいと考えています。
具体的には、生成AIが報道コンテンツから抽出した情報やデータの社会還元や、利用によって得られた収益の一部の報道の質の向上への充当など、Win-Winの関係を築くための方策を検討していきたいと思います。
報道は民主主義社会の基盤であり、その未来は私たち一人一人に関わる重要な問題です。オープンな対話を通じて、報道コンテンツの適切な保護と利用の両立を図る知恵を集めていきましょう。」
このように、生成AIによる報道コンテンツの利用を、報道の公共性を高め、社会全体の利益につなげるための機会ととらえ、前向きな議論を呼びかける言い方もできたのではないでしょうか。
新聞協会の意見は、報道コンテンツの利用に対価を求めるという点に力点が置かれていましたが、もっと大局的な視点から、建設的な提案を行うことも可能だったように思います。
もちろん、これはあくまで一例であり、実際の意見表明のあり方については、新聞協会内部でも様々な議論があることでしょう。重要なのは、報道の公共性と経済的基盤の確保という課題について、オープンかつ建設的な議論を重ねていくことだと考えます。
新聞協会を含む権利者団体が、このような姿勢で生成AIによる報道コンテンツの利用について議論を進めていくことを期待したいと思います。
つまり、生成AIが新聞記事を直接学習しなくても、他の媒体を通じて同様の知識を習得することは可能だということですね。新聞記事で報じられた情報の多くは、他の媒体でも取り上げられ、議論されます。そのような過程を経て、知識は社会の中で広く共有され、集合知の一部となっていくのです。
この点を考慮すると、新聞協会が生成AIによる報道コンテンツの利用に特別な対価を求めることの根拠は、かなり弱くなるように思われます。報道コンテンツが集合知の形成に果たす役割は重要ですが、それは他の媒体と比べて特別に優位なものではないかもしれません。
むしろ、報道機関には、自らが集めた情報を積極的に社会に還元し、集合知の形成に貢献することが期待されているのではないでしょうか。生成AIによる報道コンテンツの非享受利用は、そのような報道機関の社会的責務を果たす上で、一つの有効な手段となり得ます。
もちろん、だからと言って、報道機関の経済的利益が全く考慮されなくてよいということにはなりません。質の高い報道を維持するためには、一定の収益基盤が必要不可欠だからです。
しかし、その収益基盤は、生成AIによる報道コンテンツの利用に対価を求めることだけで確保されるものではないはずです。むしろ、報道の質を高め、社会的な信頼を獲得することこそが、報道機関の持続可能性を担保する最も重要な条件ではないでしょうか。
生成AIによる報道コンテンツの利用は、そのような報道の質の向上と信頼の獲得に資するものとなるよう、関係者が知恵を出し合って、利用のルールを設計していくことが求められます。報道コンテンツの価値を高め、その社会的影響力を強化するための方策を、オープンかつ建設的に議論していくことが重要だと考えます。
新聞協会を含む権利者団体には、このような大局的な視点に立って、生成AIによる報道コンテンツの利用について、前向きな議論を進めていただきたいと思 います。報道の未来は、私たち一人一人に関わる重要な問題なのです。
文化庁の整理では、「享受目的が併存する場合」とは、「AI学習のために用いた学習データに含まれる著作物の創作的表現を出力させる意図」がある場合を指しています。つまり、生成AIが特定の著作物の創作的表現を再現することを目的として利用される場合が、「享受目的が併存する場合」に当たるということです。
この点を踏まえると、「作風や画風といったアイデア等が類似するにとどまり、類似性が認められない生成物」は、必ずしも「享受目的が併存する場合」には当たらないと考えられます。なぜなら、アイデアのレベルでの類似性は、創作的表現の再現とは異なるものだからです。
ただし、「画風その他アイデアに含まれると解される部分が類似していることによって学習元著作物の著作者が創作した作品と見間違うような表現がアウトプットされること」については、より慎重な検討が必要だと思われます。 なぜなら、「見間違うような表現」がアウトプットされるということは、学習元の著作物の創作的表現が、ある程度再現されているということを意味するからです。このような場合、「創作的表現を出力させる意図」があったと評価される可能性も否定できません。
もちろん、個別の事案に即して慎重に判断する必要がありますが、「見間違うような表現」のアウトプットが、「創作的表現を出力させる意図」の存在を推認させる一つの要素になり得ることは、留意すべきポイントだと思われます。
他方で、「見間違うような表現」のアウトプットがあったとしても、それが偶発的なものであり、「創作的表現を出力させる意図」がなかったと評価される場合もあるでしょう。その意味では、「見間違うような表現」のアウトプットと「享受目的の併存」とは、必ずしもイコールではないとも言えます。
いずれにせよ、「作風や画風といったアイデア等の類似」と「享受目的の併存」との関係については、個別の事案に即して、生成AIの利用目的や生成物の性質などを総合的に勘案しつつ、慎重に判断していく必要があると考えます。権利者の懸念に配慮しつつ、AIの適正な利用を促進するための指針を明確化していくことが求められます。
この点についても、権利者団体とAIの開発者・利用者との間で、建設的な議論を重ねていくことが重要だと思います。生成AIをめぐる著作権の問題は、関係者の利害が複雑に絡み合う難しい課題ですが、オープンな対話を通じて、バランスのとれた解決策を見出していくことが期待されます。
うわあ、これは便利だなあ。