情報処理学会と情報ネットワーク法学会共催で6月に開かれた「Winny事件を契機に情報処理技術の発展と社会的利益について考えるワークショップ」のレポートが情報処理学会誌8月号に掲載されているが、つまらないレポートだ。議論が深まらず期待外れだとする指摘にはある程度は同意するところであるが、その原因が会場からろくに質問が出なかったせいだとするのは誤りだろう。このレポートは、講演者のスライドの紹介を中心にしていて、パネル討論の内容についてほとんど報告していない。
私がこのワークショップに参加して感じたことは、今の状況でWinnyについてきちんと議論することはそもそも困難だということだった。これは、パネル討論での、会場からの最初の質問に対するやりとりでそう感じた。
最初の質問とその回答はこうだった。
質問者(慶応ロースクールにいるイタクラ氏):
ソフトがすばらしいというのはよくわかるんですが、なぜ彼は、2ちゃんねるのダウンロード板で発表しなきゃいけなかったのかということを疑問に思っているんです。彼は研究者なのですから、自分のホームページで公開することもできた。あるいは情報処理学会に投稿することもできて、それが論文として投稿されれば研究としても意味があると思うのですが、なぜ彼はわざわざ2ちゃんねるのダウンロード板で発表しなくてはいけなかったのか。たとえば、すばらしい薬を発明したら、厚生省の認可を受けて薬として配布するのと、ブラックマーケットで麻薬として流通させるということは、使い道という点では同じだと思うんです。弁護団の方にお聞きしたいのですが、なぜ彼はあそこで公開しなくてはいけなかったのでしょうか。
回答者(壇弁護士):
2ちゃんねるはブラックマーケットじゃないと思うんですけどね。(会場笑い) 事件の関係があるので詳しくは述べれませんが、ダウンロード関係者のあの場所は、非常にネットワークに慣れた方がいると。そこで広報するとよく使うと。一万人のネットワークを作るためには、一万人に使ってもらうのが一番よいという理由です。
質問者:
両方同時にやってもよかったわけですよね。でも彼は名前を出さずにずっと続けたというのは。
回答者:
2ちゃんねる上で実名を明かして公表するとどれだけ危険か。私のところにはウイルスが山ほどきていいます今。彼が本名を明かすとどんなことになるか考えてみていただければわかると思うんですけれども。
このときの壇弁護士はとても堂々となさっていた*1。
上のような議論は不毛だ。「嘘ばっかり」と思った人も少なくないだろうと私は思うが、弁護人としてはこうのような回答をするのが正しいことは皆承知しているので、これ以上そこを突っ込むことは誰もしない。この議論においては、少なくとも何かしらのタブーがある。
パネル討論のこの後の議論は、司会の佐々木先生により、「ここでは逮捕が是か非かの議論それだけでは不毛なので」という理由で、「P2Pは有望な技術だということで企業でのうまい使い方はあるか」という議論へと方向が変えられて続けられた。それ以降の議論については、INTERNET Watchの6月28日の記事の後半にいくらか紹介されている。
さて、このように困難ではあるけれども、8月14日の日記のまえおきに書いたように、Winnyについて今議論しておくことは重要である。これに対してトラックバックを頂いた壇弁護士も、ご自身のblogで次のように補足なさっている。
注意して欲しいのは、Winnyは情報流通の効率化に対する1つの試案に過ぎないのであり、決して、最終形ではないと言うことである。Winnyのようなファイル共有ソフトに、どの様な装置を実装するべきか、そのような装置の実装は可能なのかそれとも、ある装置を実装すべきでないかを検討することは、有意義と思う。その中でこそ、ガイドラインや法律が生まれてくるのである。もしかしたら、Winnyに盛り込まれていたかも知れない。
その通りである*2。
結局のところ、今回のWinny作者氏の意図や責任を問う議論と、「Winnyのようなもの」のあり方に関する議論は、常に分離させておく必要があるということだ。
その点で、小倉秀夫弁護士*3のblogでの主張は、これらがごちゃ混ぜになっていることがあって、真意を汲み取り難くなっている。
小倉弁護士のblogエントリ「プライバシー情報放流装置」において8月20日に書かれたご自身のコメントには、
「匿名性を保障すべき」という意見にも一理あり、「トレーサビリティを保障すべき」という意見にも一理あるわけで、「最低この程度は匿名性を保障すべき」とか「最低この程度はトレーサビリティを保障すべき」というふうに国民の代表者である議会が「法律」という形で基準を決めるのであれば、(略)相矛盾する要請を調整していけばよいわけです。
とある。これには誰もが納得するところであろう。これは、「Winnyのようなもの」をどうしていくべきかの議論の流れにあると見ることができる。しかしその一方で、このコメントは次のように締め括られている。
(略)そういう意味で、「トレーサビリティを裁ち切り、権利侵害行為を行いやすくした」ということを理由にWinnyの開発者を処罰するということは、むしろ、反資本主義的所業ということができます。
一番の問題点は、そこにあるのではないでしょうか。
こちらは、Winny事件に関する議論になっている。
そもそもおかしいのは、このエントリ「プライバシー情報放流装置」での話は、著作権侵害についてではなく、プライバシー情報が簡単に放流できてしまう問題について話題にしているのだから、これは、Winny事件の議論ではなく、「Winnyのようなもの」のあり方の議論でしかあり得ないはずだ。なのに、主張されていることはこうである。
実は、「プライバシー情報の放流」という点に関していえば、そもそも発信者のIPアドレスを隠す必然性は余りありません。プライバシー権侵害は刑罰の対象ではないので、それだけだと警察が介入できないからです。(略)
匿名性こそが問題だという論者は、Winnyが云々以前に、ISPの態度の方を問題としないといけないのではないかと思うのです。
(略)そもそもアクセスログの保管義務をISPに負わせるところから始めないと、Winnyのような技術を禁圧してみたところで、「匿名の発信者による権利侵害情報の放流」を防止することなどできやしないということが言えます。(略)
ようするに、「プライバシー云々と言うなら、ISPのログ取りを義務付けることになるが、そんなのは嫌だろ? だったらつべこべ言うな」と言われている。
もしこれがWinny事件に関する主張であるならば、「はいはい、お立場上そう主張することになるでしょうから、了解です。」で終わるのだが、先に書いたように、これは「Winnyのようなもの」のあり方を議論しているはずであるから、何ら遠慮することなく批判してよいだろう。
まず第一に、ログ保存が法律で義務付けらることと、実態としてほとんどのISPがログを保存する状態になることとは別である。
第二に、ISPが発信者情報開示を拒否したとしても、ISPが発信者にデータ削除のお願いをする余地はある(さらに、規約違反で退会させるという選択肢もあるかもしれない)のであるから、「発信者のIPアドレスを隠す必然性はない」とする主張は誤りである。
第三に、「Winnyのようなもの」のあり方の議論においては、発信者のIPアドレスを隠すということだけが問われているわけではなく、他に、削除のコントロールの及ばないデータ配布方式であることが問題とされている。削除のコントロールの存在する方式としては、Webサーバや、P2P方式であればBitTorrentがそれに該当し、それらが使われている場合は、ISPが、発信者情報開示をすることなく、強制的にデータを消すということが可能で、現にそうした対応がとられてきている。したがって、「Winnyが云々以前に、ISPの態度の方を問題としないといけない」とする主張は誤りである。
第四に、「Winnyのようなもの」のあり方の議論においては、程度問題(いかに簡単に「放流」できてしまうか)を議論しているにもかかわらず、完全に防止することができないという理由をもって「Winnyが云々以前に、ISPの態度の方を問題としないといけない」と主張するのは、もしこれがWinny事件に関する主張であるならば、「お立場上そう主張することになるのでしょう」となるのだが、そうでないならば、思考が論理性を欠いていると言わざるを得ない。
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