7日の「「実行の用に供する目的で」の「実行」とはどのような実行を指すのか?」に対して、引き続きけったいな刑法学者さまよりトラックバックを頂きました。
(略)を作成するということは、同時にその際、(略)を作成するという故意が必要です。
供用目的をもって、客観的に「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」不正な指令を作成したけれども、そのような認識がなかった場合は処罰できないし、客観的に「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる」不正な指令を作成していないときにも、犯罪は成立しない、というのでは、だめなのでしょうか。
また作成罪はいらない?, 続・けったいな刑法学者のメモ, 2006年5月12日
不正指令電磁的記録作成の件で、「故意がなければ処罰できない」の話は、「バグのあるソフトウェア」の話としてならば理解しています。情報処理学会の「 「ハイテク犯罪に対処するための刑事法の整備に関する要綱(骨子)」に関する意見書」の「1.攻撃を意図しない、ソフトウェアのバグや仕様の不完全性を処罰対象としないこと(要綱第一)」は、その典型的な杞憂の例で、その話をしているのではありません。
バグが故意によるものでないから処罰されないにしても、「人の使用する電子計算機についてその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせる不正な指令」をもたらすバグである限り、「一の不正な指令」である事実は揺ぎ無いのですよね。
つまり、処罰されないけれども、規範として、そのようなプログラムを作成してはならないということではないでしょうか?
つまり、日本の刑法に不正指令電磁的記録作成罪を新設することは、「そのような不正な指令を新たに存在するに至らしめることは、プログラムに対する社会の信頼を害することを意味する」という規範を、日本に作るということではないでしょうか。(処罰とは別に。)
バグについては、バグは誰も望んでいないものですから、避けるべきものとする規範が刑法に盛り込まれることについて、抵抗はないかもしれません。(もしくは、既に日本社会にそのような規範は存在していると言える。)
しかし、コンピュータプログラムというものは一般に、その一つが、環境や時刻やユーザや起動方法や他のデータの値などによって、複数の異なる動作をし得る「多態性」を持つわけです。文書偽造における文書が偽造された文書としてしか存在し得ないのとは違います。
あるプログラムについて、ある人たち(甲グループ)が実行したときはその意図通りに動作し、別の人たち(乙グループ)が実行したときはその意図に反する動作をしたというときに、乙グループの人たちはそれを不正指令電磁的記録と客観し得るでしょう。
乙グループの人たちにその意図に反する動作をさせる故意が作者になく、作者を処罰することはないにしても、乙グループが意図に反する動作をしたと客観するようなプログラムを「新たに存在するに至らしめる」ようなことは反規範的であるという規範が、この刑法改正案によって新たに作られるのではないでしょうか。
たとえば、あるプログラマが、.dll 形式でプログラムを作成し配布したとします。これはダブルクリックでは開きません。そしてこれについて詳細な説明書は付いていないとします。わかっている人だけが使ってくれればよいと考えて配布しています。ところが、その一方で、任意の .dll ファイルを右クリックメニューから実行できるシステムが乙グループの人たちのコンピュータに普及したとします。乙グループの人たちが、その .dll プログラムがどういう挙動をするものかよく知りもせず、右クリックメニューで実行したとします。その結果、乙グループの人たちに意図に反する動作をしました。
このような事態を招くことについて作者に故意がなければ、処罰されないのでしょう。
ですが、規範としては、こういうプログラムは作ってはいけないということになるのではないでしょうか。(刑法改正以後において。)
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不正指令電磁的記録作成の件で、「故意がなければ処罰できない」の話は、「バグのあるソフトウェア」の話としてならば理解しています。 高木浩光@自宅の日記 - 「実行の用に供する目的で」の「実行」とは?