毎日新聞DIGITALトゥデイの太田阿利佐記者が夕刊担当に配置換えだという。
思えば今をさること3年半前の2000年4月、パソコンの中に何が入っているかすらよく理解しないまま、辞令1枚でインターネット記者になってしまった。世界中がIT革命に浮かれる中、...(略)
10月からIT担当を外れ、新聞の夕刊担当になる。でも、ICTが私たちの生活に入り込んでいる今、引き続きICTを取材する機会も多いだろう。これまで取材でお世話になった皆さん、そして厳しい指摘や励ましをいただいた読者に、この場を借りてお礼を申し上げたい。そして、これからもどうぞよろしく、と。
「太田阿利佐」という名前を初めて記憶に留めた出来事は、2000年12月、セキュリティホールmemoでこうとりあげられたときだったのを今でも鮮明に覚えている。
・おいおい、何をいまごろ MS00-045 をまじめに取りあげてるんだ毎日は。 太田阿利佐ってどういう人?
これは何だったかというと、2000年7月に公開されていたMS00-045の脆弱性が、12月になって
マイクロソフトは1日、電子メールソフトOutlook Expressにセキュリティホールが見つかったとして、対策のための修正プログラムを公開した。
と報道されてしまったものだ。これは、MS00-045の文書が12月に改定されたため、最新の文書として脆弱性リストのトップに躍り出たのが原因だったと記憶している。たしか、当時の脆弱性文書は初出の日付を表示していなかったんじゃなかったか。やっぱりそうだ。archive.orgでそれが確認できる。改定日なのに「登録日」などと書かれている。だからこれはマイクロソフトが悪かった。ちなみに2001年6月の時点では、「登録日 : 2000/07/28, 更新日 : 2001/03/05」という表示に改善されている。ああ、懐かしいねこの話。
これが印象深かったのは、当時は、日本の新聞メディアが脆弱性情報を報道するということはけっしてなかった中で、ついに日本でも報道される時代になったかと感激したとたん、なんだか違うぞというオチがついていたからだ。その後、しばらくの間、結局、脆弱性情報が逐一報道されることはなかったように記憶している。「なぜMS00-045だけが?」という謎が残った。
そして現在、「ワームが来るぞ」というわかりやすい危機に追い込まれるようになったこともあり、脆弱性情報が普通に報道される時代になった。そして、似通った報道をどう区別して市民に伝えるかという新たな課題が積み残されている。そういえば、私がセキュリティ問題に首を突っ込んだのも3年半ちょっと前、2000年の1月末からだ。ここに来てひとつの区切りが付いた感がある。配置換えのタイミングは偶然の一致だろうか。
太田記者の記事をはじめ、DIGITALトゥデイの記事は、技術面で比較的正しく書かれているという点で安心して読める数少ない一般紙メディアとして貴重だったと思う。検索してみると、数々の情報セキュリティ侵害事件の報道が今でも読める貴重な資料館となっていることがわかる。これは私の想像だが、専門的すぎるという理由で新聞ではボツになるITネタが、DIGITALトゥデイの場でうまく活かされてきたのではなかろうか。
その太田記者が2000年4月の時点で、コンピュータのど素人さんだったということに驚く。そんな氏の取材を勤務先で受けたことがある。1年半くらい前だっただろうか。ずいぶん長く考えを述べた気がするが、結局それは記事にならなかった。電話取材を受け、話したことと違うことを書かれて痛い思いをする経験もした。研究者は、喜んで取材に応じる反面、どう書かれるのやらと戦々恐々とする面があるように思う。学会発表の場に駆けつけてきていらしていてびっくりしたこともあった。
太田記者はコラムのコーナーでなんとも味わい深い記事を書かれてきた。特に好きだったのはコレ。
こちらも別の意味で面白かったかな。不謹慎ながら。
今回のコラムもなかなか……。
「あの子にメールを送りたい」というのは、新しくて古い、きっととても自然な感情なのだ。一連の技術が、管理や監視ではなく、個々人のプライバシーを守りながら、コミュニケーションと相互理解を深める方向に発展していくことを願ってやまない。そのためにネットワークをデザインしていく役目は、もはや技術者だけでなく、私たちみんなに課されている。
夕刊の購読申し込みってどうやるのかな。