10月26日の日記「住宅ストリートビューの国際比較 アメリカ・フランス・日本」で書き残したことを書いておく。
その日記の繰り返しになるが、私は、米国ではストリートビューはわりと受け入れられているのではないかと思っている。もちろん個別にプライバシーを侵害される事例もあって、どうやってそれが防がれるのかという問題はあるけれども、少なくとも住宅街の写真を撮られることへの嫌悪感に関しては、日本での状況のようには深刻でないのではないかと思う。そのため、アメリカ人には日本での嫌悪感が理解不能なのではないかと心配になる。このことは、早い時期から識者らによって指摘されていた。
日本の都市部の生活道路は生活空間の一部で、他人の生活空間を撮影するのは無礼です
僕らの生活スタイルは、生活空間の様子を一方的に全世界に機械可読な形で公開するようにはなっていません
道路が狭くて、歩いている人も、家も、全てが近くにあるわけで、写真で見せられたときの衝撃も大きい。一方アメリカは、道路が広い。道路から家の距離が長い。都心部に住めば違うが、そういうところは通常高層住宅。
こうしたことが、単なる観念的な感想としてではなく、実証的に、定量的に示される必要があると思う。残念ながら私にはそれを実行するだけの専門的能力がない。
ただ、10月26日の日記を書いた際に気付いたことがあるので、以下に書き留めておく。
図1は、米国の典型的な住宅街のストリートビューであるが、ここに撮影されていない道が存在している。
白い線がストリートビュー撮影されている道路で、それ以外に、赤い破線で示した道があることがわかる。この道の入口部分を横から見た様子が以下である。
日本でならグーグルストカー(Googleストリートビュー撮影カー)はこの道にも入り込んでいく、そんな感じの道だ。こういった道が、他の住宅街を見ても同様に存在している。米国ではかなり確立された住宅様式のようだ。
これが米国で何と呼ばれる道であるか知らない。私道といえばそうなのだろう(地図には掲載されていない)けども、きっとこれを指す名称があるに違いない。とすれば、このことは、米国では私道と公道がこれほどまでに明確に区別されていることを表すものとも言えるのではないか。
一方の日本では、私道・公道の法律上の位置付けはともかく、実態としてこの道に相当する使われ方をしている道とそうでない道とが明確に区別されていないのではないか。そして、Googleマップが採用しているゼンリンの地図は、しばしば(いや、かなりの頻度で)これに相当する道を「道路」として表示(白い線の道として表示)しており、それはルート探索の対象になるし、グーグルストカーが進入する道となっている。
米国でも、次の図3のケースでは、その道が地図上で道路(白い道)として表示されているけれども、ストリートビューは撮影されていない。それほどまでに、アメリカ人にとってはこの道は部外者が入るところではないという常識が確立しているのではないか。
日本のストリートビューはこの道にまで入り込んで撮影しているようなものだと説明すれば、アメリカ人にも日本での不快感が理解されるのではないだろうか。
そういった国際比較文化論を専門の方に是非して頂きたいと思う。
はてなブックマークコメントで参考資料を教えて頂いた。
碁盤の目になっている都会の通りには表通りと裏通りがある。その区割りは市によってなされ、時代によりまちまちではあるが、どの家もだいたい向こう三軒両隣、同じ敷地面積である。住宅の前に前庭、歩道、並木、そして道路。裏手は裏庭、そしてアレィ(alleys)とよばれる裏通り。これがアメリカの都市の基本の区画割りである。
ついでに、別の都市の事例を追加。グーグル株式会社なら確実に進入していそうな道ばかりなのに、やはり入っていない。
ロサンゼルスではゲートで塞いでいるところの多い地域もあった。治安が悪いのだろうか。
最後のワシントンD.C.の事例は、地図には道路として(白い道で)示されているのに進入していないところがかなり多くあった。どういう基準なんだろうか。
英米の「道」という概念は、日本の「道」という概念とまったく異なる。 日本では「住宅地」「商業地」などが先にあり、その間を「道」が通っている。 英米では先に「道」があり、その両側に「住宅地」「商業地」などがある。