13日のWinny判決の日は、午後からIPAで講演のため留守にしていたこともあり、当日のマスコミからの取材申し込みはお断りさせていただき、事前に申し込みのあったものについてだけコメントさせていただいた。そもそも私は業務上この判決の是非についてコメントする立場になく、情報セキュリティの観点から今後のWinnyをどう考えるかについてのみ、コメントするようにしている。判決が出てから慌ててコンタクトしてくるようなメディアには、短時間で私の主張の趣旨が理解されない恐れがあり、危なくて応じられない。
しかし、注意深く応じたにもかかわらず、読売新聞13日夕刊には、言っていないコメントを掲載されてしまった。
高木浩光・産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員の話
「ウィニーは、本人の意思に関係なく、個人のファイルやデータが流出してしまい、利用者が責任を持って使えるソフトではない。今回の判決にかかわらず、ウィニーの使用を法的に規制していかないと、情報セキュリティの観点から極めて危険だ」
読売新聞2006年12月13日夕刊*1
これを読んだ読者は「ウィニーとウイルスを混同している」「それはウイルスの話だろ」と思うだろう。私はこんなことを言っていない。言ったのは12日の日記に書いた趣旨のことだ。
しかも、今回はきちんと記者さんが、コメントの文案を私に電話で告げて、間違いがないかの確認をとってくださったケースなのにだ。私は十分な時間をかけて記者さんに趣旨を説明し、文案の連絡を待った。「判決とは無関係だから使えないでしょ? 使わなくてもよいですよ。」とも言っておいた。電話で連絡のあった文案は、まあまあ趣旨どおりだったので、オーケーを出した。たしかその内容は、「ウィニーは、流出した個人のファイルやデータを、利用者が意図しなくてもいつまでも流通させてしまう。責任を持って使えるソフトではない」というような内容だったはずだ。
ところが、しばらくして再び電話がかかってきて、「デスクにこのように変更されたので、再度確認して欲しい」と言われた。その内容は、「本人の意思に関係なく流出してしまい」というもので、これではウイルスの話になってしまう。絶対譲れないと拒否し、せめて語順を変えるよう伝えた。つまり、「流出した個人のファイルやデータが、利用者の意思に関係なく」としてくれと言った。
なのに、デスクにより改竄された文章がそのまま新聞に掲載されてしまった。
おそらくデスクには、「利用者の意思に関係なく流通する」ということの意味*2がわからなかったのだろう。私は記者には説明した。記者は理解しているだろう。デスクは業務上、理解できない文章は採用できないので、自分なりに理解可能な文章に書き換えて記者に返すのだろう。
そうやって新聞というものは、一般の人(=デスクのレベル)が普通に思っていることしか掲載されない構造になっている。
昔なら、マスコミにコメントを求められるというのは恐怖感を覚えるほど覚悟のいることだった。何を書かれるかわかったもんじゃないという不信感がある。だが、今はまあどうでもいい。日記に本意を書いておけばいいのだから。
新聞は新しいことを伝える媒体ではないのだから。
*1 Web版の記事では、文章が省略されているため、間違った記述は消えている。
高木浩光・産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員は「ウィニーは、利用者が責任を持って使えるソフトではない。判決にかかわらず、ウィニーの使用を法的に規制していかないと、情報セキュリティーの観点から極めて危険だ」とする。
ソフト開発に影響?「技術者不安に」…ウィニー判決受け支援者ら憤り, 読売新聞, 2006年12月13日
*2 それこそが伝えるべきWinnyの特性なのに。
新聞の意味不明な識者コメントはデスクの解釈で捏造される
なるほどぉ。
わかってはいたけど、実体験で語ってもらうととてもわかりやすいね。
はなっからちょうちん記事書いているのは別としても、記事の本質が特定の人の裁量に左右されてしまうというのはどうなんだ
さすがの高木さんもやられたなあ…と思ったが,実は私も同様な体験がある. http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20061219.html#p01 昔,ある有名な大手出版社から取材の申し込みがあり,長時間インタビューを受けた.その後,私の発言が技術的に間違って書かれないかを確認し