5月27日の日記「PlaceEngineのプライバシー懸念を考える」では次のように書いた。
つまり、家庭の無線LANアクセスポイントのMACアドレスを誰かに知られることは、住所を知られることに等しい。そのような事態をPlaceEngineサービス(および類似のサービス)が新たに作り出したことになる。
「MACアドレスは個人を特定するものではない」と言えるだろうか?もし、別のネットサービスで、何らかの目的で家庭の無線LANのMACアドレスを登録して使うサービスが始まったとする。そのサービスもまた、「MACアドレスから個人が特定されることはありません」と主張するだろう。このとき、PlaceEngineとこのサービスの両者が存在することによって、わからないはずの住所が特定されてしまう事態が起きてくる。
PlaceEngineなどのサービスが存在する現状、家庭の無線LANのMACアドレスは秘密にしなければならなくなった。
ではどういう状況でMACアドレスを知られ得るのかだが、8月18日の日記ではストーカーから逃れて転居する状況を想定した。他に崎山伸夫氏からはIPv6が普及した状況を想定しての検討をトラックバックで頂いている。IPv6は未来の話だとして、現状でも次のケースがあることにその後気づいた。
iPod touchや携帯ゲーム機器を外で歩きながら使っている人ならお気づきのように、巷の無線LANアクセスポイントのいくつかは、SSIDにMACアドレスっぽい12桁の16進数を割り当てているものがある。これは何のアドレスだろうか。
たとえばBUFFALO製無線LANアクセスポイントのある機種の説明にはこんな記述がある。
WER-AMG54は、本体に設定されているLAN MACアドレス(SSID)が本体底面に記載のSSID初期値と異なります。AOSSを使わずに無線接続する際は、本体底面に記載されているSSID初期値の末尾 ”_G” を除いた12文字のSSIDに接続してください。
製品名・製造番号・MACアドレス・ESSID・設定初期化ボタンを確認する方法, 株式会社バッファロー
また、BUFFALOの「QA番号:BUF3491」には、機種ごとのSSID初期値の一覧表があり、次などの記述がある。
「000740」で始まる12桁のLAN MACアドレスの値
「000D0B」で始まる12桁のLAN MACアドレスの値
11a = 「000D0B」で始まる12桁の値 + 「 _A 」
11g = 「000D0B」で始まる12桁の値 + 「 _G 」
「000740」、「000D0B」で始まる12桁の有線MACアドレスの値
「000740」、「000D0B」で始まる12桁の有線MACアドレス(WiredMAC)の値
「004026」で始まるMACアドレスの下6桁に”GROUP”をつけた値
エアステーションのLAN側の有線MACアドレスの値
「LAN MACアドレス」と「有線MACアドレス」の違いがいまいちわからないが、どうやら、無線側のMACアドレスではなく、有線LAN側のMACアドレスをSSIDの初期設定としたものが多いようだ。PlaceEngineで位置を調べるには、有線LAN側ではなく、無線側のMACアドレスが必要である。
ところが、どうも、有線LAN側MACアドレスと無線側MACアドレスを連番で割り当てている機種が少なくないようなのだ。
図1は、夏休みに東海道新幹線移動中にNetwork Stumblerで検出した数千件のアクセスポイントについて、SSIDで並べ替えて表示した様子である。
Coregaの一部の機種では、無線側MACアドレスと1番違いの値がSSIDとして設定されれていることがわかる。おそらく有線LAN側のMACアドレス(あるいはWAN側のMACアドレス)をSSIDとして使っているのだろう。別のメーカーのものも図2の通りで、全く異なるアドレスを用いているものもあるが、1番違いのアドレスを用いているものがあり、同一アドレスを用いているものも見られる。
また、(これはわりと知られていることかもしれないが)ソニーのLocationFreeベースステーションは、無線側のMACアドレスをそのままSSIDに含めている(図3)。
ここで思い出したのが、2月にデイリーポータルZに掲載されていた以下の記事である。
この「デイリーポータルZ」というサイトは、誰もやらない実験をすることで人気を博しているサイトなのだが、この回に限っては、いまどき誰でもやったことのあるであろう、無線LANアクセスポイントの収集という平凡な実験をネタにしていた。この記事の著者(および編集者)からすれば、他で見たことのない実験なので、ユニークと思ったのかもしれないが、他の誰もこういうことをしないのは、無線LANアクセスポイントの情報をそのまま公表する行為が電波法59条に抵触する可能性があると心配されているからだろう。
(秘密の保護)
第59条 何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線通信(電気通信事業法第4条第1項又は第164条第2項の通信であるものを除く。第109条並びに第109条の2第2項及び第3項において同じ。)を傍受してその存在若しくは内容を漏らし、又はこれを窃用してはならない。
電波法
傍受できてしまうこと自体はしかたないが、傍受して存在を漏らす行為、傍受して内容を漏らす行為、傍受して窃用する行為それぞれが禁じられている。どこの場所にこんなSSIDのアクセスポイントがあるといった情報を公表するのは、存在を漏らす行為にあたるおそれがあるのではないか。
この記事は、以下の引用部のように、能天気にも自分の家の近くで得たアクセスポイントのSSIDをモザイクもかけずにそのまま掲載している。(赤の墨消しは引用時による。)
見つかりました。3つです。このうち一つは僕の家の無線LANです。なので、僕の家の周りで無線LANを使ってる人が、僕のほかに二人ということになります。
さて、家から80mくらい離れてみました。さっき無線LANを検索した場所がまだ視界にあるくらい近いのですが、検索してみるとまた新たに2つの無線LANを見つけました。
5つ示されているSSIDのうち2つは、MACアドレスのようだ。もしこれが、無線側MACアドレスそのものであったり連番であるなら、PlaceEngineを使って著者の家を探し当てることができてしまうだろう。
というわけで、実際にやってみることにした。
まず、無線側のMACアドレスを変更できるアクセスポイントを用意するわけだが、たとえば、次の製品(かなり広く普及していると思われる)では普通にそれが可能になっている。
図4のように、普通に設定でMACアドレスを変更できるようになっている。
このアクセスポイントデバイスと、これを受信するための別の無線LANクライアントデバイスをPCに接続し、これらをアルミホイルで包んで簡易電波暗室とし(図5)、環境に存在する他のアクセスポイントを受信しないようにした。
手始めに、BroadBand Watchの記事に最近掲載されたこのスライドに映し出されているMACアドレス*1をターゲットにして試した。図6のように、変更した指定のMACアドレスのアクセスポイント1個だけが観測される状態を作り出したところで、PlaceEngineを起動して位置を測定してみると、そのスライドに書かれている通り、たしかに淡路町駅交差点の位置が示された。本当にこの方法で位置を検索できてしまうことが確認された。
というわけで、早速、デイリーポータルZの記事で著者が自宅前だとして公表しているSSIDをアドレスとして用い、また、その前後1番違いのアドレスそれぞれを用いて検索してみた。
結果、掲載されている2つのSSIDのどちらについても、位置は特定できなかった(図7)。どうやら、記者の家の地域はまだPlaceEngineのデータベースに登録されていないようだ。(あるいは、これら2つのSSIDが無線側MACアドレスとは無関係の値である可能性もある。)
そこで次に、同じ記事の後半に記載されている、「アルタがある一角をグルっと一周しただけで12個も見つかりました」と説明された写真に掲載されているSSIDで試してみたところ、図8のように、新宿アルタ前の位置が特定された。
というわけで、自宅を特定されたくない状況では、MACアドレスを秘密にすることが求められるだけでなく、SSIDも同時に秘密にすることに注意を払う必要もあるということになる。あるいは、無線LANアクセスポイントは、SSIDをMACアドレスと無関係の文字列に設定変更して使うのがよい。
近頃はブログ等で、自宅の無線LAN設定の様子を写真で載せている人が少なくない。「SSIDがバレたところで、それで不正アクセス可能になるわけじゃないし」という思考から、SSIDにモザイクをかけずに掲載することがあるかもしれないが、PlaceEngineというサービスが存在する今となっては、各自、SSIDがMACアドレスになっていないかに注意して掲載する必要がある。
特に、LocationFreeを自宅に設置している人は注意が必要だ。たとえば、BoradBand Watchの「外出先からPSPやPCで自宅のテレビが見られる画期的な製品ソニーの新型ロケーションフリー「LF-PK1」」という記事は、LocationFreeベースステーション本体の写真を掲載しているが、この写真には(初期設定の)SSIDが記載されたシールが写っており、誰でも読み取ることができてしまう。
この個体が今どこに設置されているのかは定かでない(インプレス社内にあるのかもしれないし、他人の手に渡っている可能性もある)が、この値をMACアドレスとしてPlaceEngine検索してみたところ、マンションらしき場所が示された(図9)。
さて、今回は、所期の目標であった「デイリーポータルZ 記者の家を探しに行く」を実現できなかったわけだが、今後、PlaceEngineの利用者が増え、登録位置情報が自動的に充実していくにつれ、いつの日か記者の家の地域が検索可能になる可能性がある。
ところで、実は、この記者の個人ブログによると、9月に転居したとのことなので、2月の記事の場所にはもう住んでいないようだ。
だが、逆に、これによって転居先を特定できる可能性もある。記事中で、
見つかりました。3つです。このうち一つは僕の家の無線LANです。なので、僕の家の周りで無線LANを使ってる人が、僕のほかに二人ということになります。
とされている「僕の家の無線LAN」が、もし、上で試したMACアドレスらしきもののことを指しているのなら、今後、転居先の場所が検索可能になる可能性がある。
もっとも、ブログの書きぶりからして、この方はあまり家の場所を隠すつもりがないようなので、いらぬ心配かもしれない。