16日の日記のリンク元を辿ったところ、「CDCの日記」5月25日に次のように書かれていた。
月刊アフタヌーンの7月号(最新号)に掲載された『アキバ署!』を会社に行く電車内で読んだが、驚嘆した。プライバシー保護とWinnyの関係についてこれほどまで理解しやすく示唆に富んだ作品をマンガで読ませるとは、素晴らしい原作者に恵まれたか作者が練りに練り上げたかのどちらかだろう。
(略)
このマンガは、高木浩光がはてなダイアリーの2004年5月16日で書いた「市民の安全を深刻に害し得る装置としてのWinny」で話しているWinnyの問題点を、体感させてくれると言い切れる。実は原案者に高木浩光が関わっているのではないか、などと思ったり。
え? おいおい、私はなにも知らんですよー。
というわけで、早速本屋に立ち寄って月刊アフタヌーンという漫画雑誌を買ってきて読んだ。おお、たしかにこれは面白い。漫画雑誌は久しく読んでいなかったので最近のことは知らないが、一昔前なら、漫画がインターネットとかコンピュータを題材にするときは、たいていどこかズレていて苦笑してしまうものが多かったものだが、この「アキバ署!」にはズレがみあたらない。(あの人が背後にいたりするのだろうか……。)
以下ネタバレ注意。
ハイテク犯罪相談室に相談に来た女子高校生神崎が、中盤で「……あ、あの、そ、そのファイルって、ケーサツの力とかで、消せ……るんですか?」と尋ねるシーンがある。警部補久遠がそれに「…………。残念……だけど」と言っただけで、神崎は「……そう、ですよね。警察なんて……」と言って走り去る。
神崎は、ファイルは消せないに違いないと直感しつつも念のため尋ねてみたという様子で、「残念だけど」という何の理由もないたった一言の説明に、やはり消せないのだと納得してしまう。
読者に対する説明もない。
このように、ファイル交換/共有ソフトに一旦流されたファイルは消しようがないということは、既に多くの人に直感的に理解できる自明のこととなっているらしい。
著作権侵害が深刻になっているのならば、著作権者が消させようとするはずなのだから、問題が解決しないらしいということは、消せないのだろうなと、誰にも直感できるのだろう。
著作権侵害ファイルが消せないということは、同じ原理によって、プライバシー侵害ファイルも消せない。
作者の思惑通りか、読後感想文大会がかなーり盛況のようだ。案の定、「最初に撮らせた神埼が悪い」などと防衛機制を働かせている読者が続出している。不快感の残る漫画だという感想が多いが、それだけどうしようもない話題だということだろう。たくさんの読者が釣れている。まさに「じゃあ(怒)、どうすればよかったんですか?(怒)」だ。
Winnyに対する考えは5月16日の日記にまとめた通りなのだが、P2Pとは何かということについてもう少し考えてみる。
リーダーズ英和辞典第2版に「peer-to-peer network」が次のように載っていた。
peer-to-peer network
【電算】 ピアートゥピアーネットワーク《ネットワークを構成する各ノードが同等の機能と資格を有するネットワーク》.
「peer」をひくと、
1 《社会的・法的に》地位の等しい人, 同等[対等]者; 同僚; 《古》 仲間 (companion).
というように、「仲間」という訳が載っている。これを指してか、19日のNHK総合「あすを読む」で解説委員がWinnyを解説する際に、peer to peerのことを「仲間から仲間へ」という表現を使っていた。
「仲間から仲間へ」と表現すると、そこには人が意識的に介在するニュアンスを感じる。つまり、サーバ/クライアント方式に相対するものとしてのpeer-to-peer networkという内的な機械的構造上の違いを指すだけでなしに、人と人とが互いに意識的に何かをするというニュアンスが出てくる。
旧Napsterなどは、そうした「仲間から仲間へ」という意味を持っていたかもしれない。
著作物を家族や友人と一緒に鑑賞したり、場合によっては友人と貸し借りして楽しむことが、著作権法で認められる範囲となっている。インターネットのブロードバンド化とともに、この「一緒に楽しむ」とか「貸し借りする」するということが、ネット上でも可能となってくる。まず思いつくところでは、メールで送信すればそれが可能だ。知り合い同士でメールのやりとりをするのと同じ程度に、著作物を貸し借りするというわけだ。しかし、音楽ファイルや映像ファイルの場合、データサイズが大きいため、メールでのやり取りはシステムの仕組み上あまり向かないということになる。そこで、TCP/IPで直接相手に転送するアプリケーションを使うという考えが浮かんでくる。旧Napsterなどは、そうした性質のアプリケーションに検索機能が付いたものと見ることもできるのではないか。
つまり、建前上は、仲間から仲間へとファイルの貸し借りをするために使うソフトウェアであるところ、検索機能(誰がそれを持っているかの検索)が中央サーバでサービスされていたことによって、見知らぬ人とでも容易に「貸し借り」できるようになってしまうため、実態は、不特定多数とのファイル交換という利用形態になった。そのような見方ができるかもしれない。
ファイル交換の相手が不特定となると、著作権法で認められている範囲を超えてしまう。わいせつ物公然陳列罪にしても、売春防止法違反にしても、相手が不特定であるか「仲間」であるかが法律上の区切りとなるのは妥当であろう。
もちろん、著作権を侵害しないファイルを交換し合うことは、相手が不特定であってもよいわけだから、違法に他人の著作物を提供したそれぞれの個人が責任や罪を問われて然るべきだ。ファイルの一覧表は、いわばどこかの掲示板に相当するものであり、検索機能はGoogleなどに相当するものと見なすことは可能だ。
ただ、掲示板やGoogleとは異なり、もっぱら違法な目的にのみ利用価値があるという認定が出てくることによって、潰されるということが起きてくるのだろう。
中央サーバが潰されたことによって、Gnutellaなどの方式が台頭した。すなわち、検索機能の部分をpeer-to-peer networkによって実現するという、分散型検索の搭載だ。この場合、P2Pは「ネットワークを構成する各ノードが同等の機能と資格を有する」という、アーキテクチャ上の特性を指し、「仲間」どうこうではない。そこには誰にも潰されないという意味での耐故障性が意識されていただろう。
検索をpeer to peerで実現するには、各peerは検索要求やその結果を隣のpeerに中継することが必然となる。それに対して、ファイルのデータ転送は、持っているところと直接通信すればよいので、中継することは必然ではない。
ただし、ダウンロードしたデータをそのまま即座に提供状態にする、つまり、downloadフォルダとuploadフォルダと同一にするという使い方がなされると、システム全体としては各peerがデータを中継していることになる。このような使い方が普通となってくると、それは、ファイル「交換」(仲間と仲間が交換し合う)システムというよりも、ファイル「共有」システムと呼ぶにふさわしいものとして機能することになる。
「ファイル交換」では、自分が何を提供しているかを人が意識するというニュアンスがあるのに対し、「ファイル共有」ではそれが希薄で、機械的にファイルが提供されていくというニュアンスとなる。(その点で、報道機関がWinnyのことを「ファイル交換ソフト」と表現しているのは、適切さを欠いている。)
日本でWinnyが誕生した背景には、日本の著作権法が他国に比べて「先進的」であることがあるのだろう。2001年11月に(社)コンピュータソフトウェア著作権協会が発表した「ファイル交換ソフトで世界初の刑事摘発」によると、日本とオーストラリアだけが、送信可能化した時点で刑事罰が与えられる法制度をとっているのだそうだ。
日本では、インターネット時代を見越し、すでに昭和61年の著作権法改正でサーバーからのオンデマンド型の送信に対する法整備を行ったほか、さらに平成9年には、実際の送信が行われていなくても、著作物を無断で送信可能な状態に置くこと(送信可能化)だけで著作権の侵害になることを明確に規定しています。ファイル交換ソフトに対応し得るこのような著作権保護制度を実現しているのは、先進国の中でも日本とオーストラリアのみです。
ファイルのデータを持っているところから直接通信して取得するシステムでは、通信相手のIPアドレスがすぐにわかるのであるから、日本のように刑事事件として捜査可能な法制度の国では、違法なファイル提供行為は摘発される可能性が高いことになる。
そこでWinnyは、uploadフォルダに入れられたデータが必ず他のpeer(ノード)を中継して転送される仕組みにした*1。
WinMXなどでは、自分がuploadフォルダに何を入れているかが意識可能であることから、日本では、著作権侵害行為を意識する人々はuploadフォルダに何も入れないで使うことになる。ダウンロードだけするといういわゆるDOM(Download Only Member)が増えることになり、結果として、違法なコンテンツ(送信可能化が違法となるコンテンツ)の量は少なめとなる。
また、uploadフォルダとdownloadフォルダを同一にして使う「ファイル共有システム」としての使い方をしている場合、それらのフォルダに何が入っているかをユーザは意識可能であるため、他人のリクエストによって転送されてくる違法コンテンツが、自分も送信可能化してしまうことを容易に認識できる。その結果、日本では摘発を恐れてそうした使い方がされにくくなる。
Winnyはこの事態を避けることを意図して、ファイルの暗号化とキャッシュ方式を導入したと見られる。データの中継転送にあたり、中継データは同時にノードにキャッシュとして保存するようにすることで、実質的に「uploadフォルダとdownloadフォルダが同一」という使い方を全員に強制することになる。また、データを暗号化して中継、キャッシュするようにすることで、ユーザが自分がどんなデータを送信可能化しているかを容易に意識しないようになるというわけである。
このことを指して、Winny作者の「47氏」の発言と見られる書き込みは次のように語っている。
117 名前:47 投稿日:02/04/16 15:18 ID:mPL0z40j Winnyはぶっちゃけたこと言えば、必ず串経由でMX使って ファイルは自分で全部暗号化してファイル名を適当なルールつけて そのままじゃ中身が分かり難くしてやり取りするという文化が広まれば 今のMXそのまま使えばいいんですけど、そうはならんだろうから それを目指した専用ツールを作ろうってことですね。
これによって、Winnyは、誰か一人がファイルを一旦uploadフォルダに入れれば(後に削除しても)、あとは、人々に意識されることなくデータが拡散していくという、「ファイル共有」を超えたシステム(共有しているという意識さえ存在しにくいシステム)「ファイル放流」システムを実現してしまった。
最初にファイルをuploadフォルダに入れる行為を「放流」と表現するのは、まさに、一旦流すとあとはユーザの意識に関係なく拡散していくのみということと、誰が放流したかの特定が困難ということを端的に表している。(川に毒物を放流するのに似ているだろうか。)
WinMX等で、uploadフォルダとdownloadフォルダを同一にした使い方をする場合であっても、自動的にファイルが拡散していくとはいえ、まがりなりにも自分が何を送信可能化しているかを意識可能だろう。良心の呵責にさいなまれる内容のファイルが流通しているのが目に留まれば、削除するという行動をとるかもしれない。本音と建前を隔てたりせず、宗教的あるいは文化的倫理観ないし強迫観によって削除を自ら迫られる人達であれば、消してくれるかもしれない。
Winnyユーザははたしてどうだろうか。自分が何をキャッシュしているか知っているだろうか。薄々感付いていながら「明確に認知してはいない」と言い訳しつつあえて認知しようとしないとか、「自分だけ削除してもどうせ皆が削除するわけじゃないのだから自分も消さなくてよいのだ」などと正当化して、感心を持つことからさえ逃げていないだろうか。
「ファイル共有」システムではデータの拡散に人の意識が介在する。「ファイル放流」システムでは人が介入する余地がなくデータは完全に機械的に拡散してゆく*2。
「どんな方法であれ、いったんネットに公開されてしまった情報は回復できない」「それはP2Pやウィニーに固有の現象でしょうか?」だの、「Winnyが無ければ情報の拡散は阻止できるのか?」だの、「メーリングリストプログラムについても同様である」だの*3と、詭弁を振り回す輩が予想通り現れてきたが、拡散に人の意識が介在する余地があるかないかが肝である。
さて、このところ、P2Pの将来がどうのこうのという発言が目に付く。一昨日の日記に書いたように、私も日経産業新聞の取材でそのようなことを問われている。だが、P2Pの将来というときの、P2Pとはどのような意味で言われているのだろうか。
人々がP2Pを語るとき、P2Pが指すものには次のものがありそうだ。
分散型検索システムは古くから研究されてきた。国内事例として知るところでは、NTTの風間さんらが研究なさっていた「Ingrid」*4という検索フレームワークがあった。たしか、1996年ごろに見学させてもらったことがあったように記憶している。当時は、今ほどWeb検索は完全ではなく、見つからないページも多く、ページの変更が反映されるのにも時間がかかっていた。そこで、Webロボットを広域に放つのではなしに、検索用のインデックスを各サイトで(ローカルにロボットを動かして)構築し、それをIngridネットワークに提供することにより、分散型のインデックス収集を実現するというものだった。検索の実行も、Ingridネットワークの任意の場所に接続して可能だったと記憶している。これは、peer-to-peer networkによる分散型検索を、性能追求の目的で追求したものだったと思う。
しかしその後、Googleが成功したことから、集中型の検索システムでも十分に期待の性能が得られることが示されてしまった。もちろん、一極集中の脆弱さの観点から、分散型の存在意義も依然として存在するが、有効性、有用性としてはやや弱くなっている。Ingridもたしかそれを取り込んでいたと思うが、現実的には、集中型と分散型のハイブリッド方式が有益であろう。いずれにせよ、この分野は重要であるものの、「ブロードバンド社会で次の技術はP2Pしかない」というようなものとは違うように思える。
それに対し、Gnutellaが導入した分散型検索は、誰にも邪魔されないという目的により追求された形のものだっただろう。目的は性能ではないだろう。
自律型で自己組織化ができる、つまり、ネットワークのどこかの末端に接続して参加するだけでシステム全体に参加できるという特性は、Gnutella等でも実現されているわけであるが、それが「ブロードバンド社会で次の技術はP2Pしかない」と言うほどに必須のものなのか?と考えてみると、やはり、誰にも邪魔されないという目的のために必要な特性であるように思える。
さて、誰にも邪魔されないということが、将来のインターネットにとってどれだけどのように必要で重大なのかを議論しておく必要があるだろう。少なくとも、この点の議論なしに、この目的を指して「ブロードバンド社会で次の技術はP2Pしかない」と言うのは変だ。
次に、分散型ファイル配布システムを指す意味でのP2Pは、たしかに現在発展中のアーキテクチャを指している。
16日の日記で書いたように、太古の昔、Usenetがメッセージ配布システムとして設計された当時、ネットワークの接続は断続的でかつ遅かったため、テキストデータを配布するのに分散型のアーキテクチャをとる必要があった。これが後に常時接続の時代が到来すると、数十メガバイト程度までのファイルならば、サーバ/クライアント方式で十分に配布でき、分散型は必要でなかった。しかし、数百メガバイト以上のファイルを配布するにあたっては、現時点では、サーバ/クライアント方式では、サーバ設備にかかるコスト負担が大きすぎる。そこで、分散型ファイル配布システムが注目されるわけだ。
たとえば、(使っていないので確信を持てないが)「BitTorrent」というシステムが、その目的のために(バランスよく的確に)設計されているように思える。
BitTorrentは次のような仕組みのもののようだ。ダウンロードする巨大ファイルを「.torrent」という拡張子の小さなファイルで参照指定するようになっており、ファイル提供者は、.torrentファイルを信頼できるWebサイトに掲載しておく。ダウンロードする人は、信頼できるWebサイトから .torrentファイルをダウンロードして、目的の巨大ファイルのダウンロードを開始する。ダウンロードは、隣り合う複数のノードから目的ファイルの断片を取得し、断片を結合して実現する。このとき、ダウンロードした断片は、他の隣り合うノードへ提供するため、自分のノードにキャッシュとして残す。
このとき、Winnyとは異なり、自分のノードにキャッシュされるデータは自分が意識を持ってダウンロードしたデータだけとなる。違法なコンテンツ(送信可能化が違法となるコンテンツ)を取得していなければ、自分が違法なコンテンツを提供することにならない。
このシステムの使用が適法かどうかは、まさに使う人の使い方の問題であって、FTPサーバやらHTTPサーバをどう使うかのケースと同一だ。
こうした、分散型ファイル配布だけを実直に実現したシステムは、たしかに「ブロードバンド社会で次の技術はP2Pしかない」と言うに相応しいものだろう。
BitTorrentは映画の違法コピー用に作られた技術ではない。実際、オープンソース推進者は最近、BitTorrentを用いてRed Hat Linuxの最新リリースを配布し、混雑した企業サーバからダウンロードしないで済むようにした。また、Phishのようなライブが売り物のジャムバンドの高音質な録音の交換を一般にバンドから許可を得て仲介しているWebコミュニティの1つも、BitTorrentを利用している。
「BitTorrentで明らかに違法なファイルを配布するのは、本当に愚かな考えだ」とコーエン氏。同氏は、オープンソースプログラムなど大容量の合法的なファイルの配布にこのソフトを使うよう推奨している。「BitTorrentには匿名化機能はない。このソフトには匿名性とは相いれないものがある」
Winnyのような方式(中継ファイル内容の認識困難化)が、分散型ファイル配布のために必要なわけではないのだから、今回のことで「P2P技術の未来に悪影響を及ぼす」といった懸念を示すのは、(政治的戦術として言っているのならともかく、本気で言っているのなら)理解に苦しむ。
ただし、BitTorrentのようなシステムが、Winnyほどに使ってもらえるのかという疑問の余地はある。
ソフトウェアをインストールする手間については、一度でも大きなファイルをダウンロードする機会があって、そのために必要とあらばインストールはするだろう。しかし、キャッシュとして自分のハードディスクを何百メガバイトか提供し続けることを、ユーザが望むかどうかだ。
キャッシュサイズが大きいほど有利に高速にダウンロードできる仕組みを設ければ、それはある程度達成できる。しかし、そのためには、かなりの頻度でダウンロードの必要が生ずるようでないと、メリットが見合わないことになるだろう。それだけの魅力的コンテンツが、そうしたシステムで提供されるようになるかどうかが、鍵となる。
16日の日記に書いたように、Winnyでは、コンテンツの「超法規的な」魅力を原動力としていたために、大きなディスク領域をキャッシュとして提供する人がたくさん現れた。それによってシステムは効率的なものとなり、さらにシステムの魅力を高めることとなった。
BitTorrentのような実直な分散ファイル配布システムが普及するかは、鶏と卵の関係であろう。魅力的なコンテンツがなければ普及しないし、普及しなければ魅力的なコンテンツが提供されない。
最後に、P2Pを「ファイル共有システム」を指す意味でとらえた場合、「ブロードバンド社会で次の技術はP2Pしかない」というのは理解しかねる。なぜ「共有」をする必要があるのか。「明確な配布者が分散型ファイル配布をする」(BitTorrent等の方式)というのではまかなえないものとして、いったい何があるのか。
P2Pを匿名性を実現するための仕組みとしてとらえる場合については、16日の日記に書いたとおりだ。
「仲間から仲間へ」(不特定多数が相手ではない)については、電子メール以外の、専用のアプリケーションが必要とされているかもしれない。しかしその場合に、peer-to-peer networkを使う必然性はない。