11月24日の日記「家畜の餌を人に食わせるような話」で、
そもそも、人を識別するには高度なセキュリティが求められるという前提の下で、RFIDカードの開発が進められてきたところに、セキュリティ機構を一切省いたRFIDタグが注目を浴びて、「あんなこともできる」「こんなこともできる」と夢想しているのが現在の状況であろう。(略)
ここで問題は2つある。物を携行することによって物の識別子が人の識別子として働いてしまうという問題、これはこれまでにも述べてきた。もうひとつは、物の識別子を人の識別子として積極的に活用しようとしている輩がいるということだ。
と書いた。
ここで言いたかったのは、RFIDを推進している人の皆がプライバシーを蔑ろにしているわけではないということだ。RFIDカードの事業を進めてきた人たちからすれば、セキュリティ機能の削り落とされたRFIDタグが、どんな問題を引き起こし得るもので、どんな目的には使えないものであるかをわかっているだろう。
総務省の「ユビキタスネットワーク時代における電子タグの高度利活用に関する調査研究会」の議事録を見てみると、今年4月15日の議事要旨にこういう発言が出ている。
- 開催要項に、『モノや人の識別に利用される電子タグは・・・』とあるが、こう書くと電子タグが個人を特定する様に思われる恐れがある。この研究会では『モノや人の識別するタグ』を検討すると思われても良いか。
- 『モノや人の識別に利用される』という部分は削除しても研究会の意図は変わらないのではないか。
これがどなたの発言かはわからないが、古くからRFIDカード等の事業に携わってこられた方であれは、こうした危惧は自然なものだろうと思う。
7月に開催された「世界情報通信サミットミッドイヤーフォーラム」で、森ビル アカデミーヒルズ事務局長の礒井氏から、六本木ヒルズでのRFIDタグの活用について説明があったが、このとき、このプロジェクトではプライバシーに慎重に配慮したということが語られていたと記憶している。詳細は不確かにしか思い出せないのだが、パッシブタグ(電池を内蔵せず、リーダからの呼びかけに応じるタイプのRFIDタグ)を使うのではなく、アクティブタグ(電池を内蔵し、ボタンを押すアクションがあったときあるいは一定の間隔でなど特定のタイミングで自ら送信するタイプのRFIDタグ)を使うようにしたという話があったと思う。日経の開催報告記事によれば次のように発言が記録されている。
礒井純充氏
「森ビルのシステムでは、受けるサービスによって別々のシステムを運用しており、極端な話、同じ人間がサービスごとに別の名前で登録することもできる。また、ユーザーがサービスを受けるか受けないか、必ずユーザーの意志を確認するようにしている。今年10月から配布開始するICタグは、ユーザーがタグについたボタンを押さないと情報が流れない仕組みになっている」
こうした方式は、産総研サイバーアシスト研究センターのマイボタンもそうだったと思う。
そういうところへ、流通の都合で取り付ける超安価タグの構想に便乗して、消費者にも便益をと、人に意識させずにIDを読み取る方式で、あんなこともできる、こんなこともできると、傍若無人に危なっかしい夢を語っているのは、つい最近に後からやってきた新規参入組の人達ではないのか。
森山和道氏が4月に「こんなことは事業者たちは既に考えていて、手を打ってる」としたのは、古くから取り組んでいた人達のことを見ていたのかもしれない。しかし現実には、新規参入組が幅を利かせている状況ではなかろうか。