批評・評論は信頼のゲームである。信頼を得ている者の発言は効率的に大きな波及効果をもたらすことができる。信頼の獲得は一朝一夕にはできない。理解されやすく、かつ、少しだけ新しい知見を含めた「小さな主張」で、最初の信頼者を得る。聴衆の理解を汲み取りつつ、徐々に新たな知見を加え、信頼を維持しながら核心に近づく。一足飛びに大胆な発言は禁物だ。蓄積してきた信頼を失うことは避けられない。信頼を失えば、耳を傾ける者は去り、発言の効力は失われる。しかし、一般に、大胆な発言が求められる事態こそが重大な局面である。着実に理解と信頼を得られる「小さな主張」は所詮、小さなことでしかない。そもそも何のために信頼を獲得するのか。重大な局面の到来に備え、最後の爆弾に最大限の効力を充填するためではないのか。しかし、砕け散ったそのとき、もはや次の手段は何も残されていないかもしれない。
別の手段もある。第二の手段は、内部に入って内部から気づかせる方法だ。この方法は、内部の者から既にある程度の信頼を得ている状況でしか成功を期待できない場合が多い。内部が理性的な議論のできる正常な土壌でなくてはならない。内部からの解決を図り、失敗した場合には、後から第一の手段を使用しても効力は小さい。内部から解決しようとして失敗した人が言うことだからとバイアスがかかった見方が避けられない。解決できる見通しがなければこの手段は使えない。
第三の手段は、外部のおおやけな場で互いに討論して見せることである。この手段が使えるのは、対抗側がある程度組織化されているときだ。個人が組織と討論する場が注目を集める形で実現されることは普通ない。組織的に対抗する場合、バイアスがかって見られる危険がある。おおやけな場で、聴衆のほとんどが納得する議論が組織的にできる場合にしか有効でない。組織の一部の者が、誤った主張、過剰な主張、非理性的な発言をすれば、全体が信頼されないで終わる。
第四の手段は、外部のクローズドな権威あるコミュニティで両者が議論することである。この手段は、既にそうした議論が可能なコミュニティが存在していて、コミュニティ内での信頼を既に得ている場合にしか使えない。この手段を使う場合は、他の手段と同時に使うことはできない。この手段が失敗した場合、後に第一の手段を使うことはできる。コミュニティ内で得てきた信頼を失うリスクを伴うという点は第一の手段と同じである。
第五の手段は、個人的に直接話をすることである。この方法が使えるのは、相手に既に自分のことがそれなりに知られている場合だけである。うまくいった場合には、後に加えて第四の手段や第二の手段を併用することで効果を高められるかもしれない。うまくいかなかった場合でも、第四、第二の手段を使用できる余地が残る。
一方、説得される側の立場からすれば、どの手段を使われるのがソフトランディングとなるか、よく考えて対応することが威信を保つ秘訣となる。