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高木浩光@自宅の日記

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2004年06月08日

良心に蓋をさせ、邪な心を解き放つ ―― ファイル放流システム

違法なファイル交換行為をする人々の心境を指して、「赤信号、皆で渡れば怖くない」が持ち出されることは多そうだが、Winnyの場合は、それだけでは説明しきれていない部分がある。

「ファイル交換」あるいは「ファイル共有」と呼ばれる行為を、5月30日の日記「P2Pの価値とは何なのだろうか」では、より細分化して整理してみた。これを表にまとめると次のようになる。

事例

特徴

仲間から仲間へ

初期段階のNapsterなど

家族や知人など特定の相手との「貸し借り」をネット上で実現した行為。

ファイル交換

WinMX等でuploadフォルダの中身を把握して動かしている場合

不特定多数が相手であるが、何を自分が提供しているかを意識する。

ファイル共有

WinMX等でuploadフォルダとdownloadフォルダを同一にしている場合など

何を自分が提供することになるか通常は意識しないが、ときどきフォルダの中身を確認したとき、自分が提供することになるのが嫌なファイルがあれば削除する。

ファイル放流

Winnyなど

「キャッシュは単なる通信路の一部であってキャッシュからのデータ送出は自分が提供しているわけではない」と主張することが可能なため、そのように自身を説得しているユーザは、自分がどんなファイルの拡散に加担しているかを意識することから積極的に逃れようとする。

ファイル供給

BitTorrentなど

ファイルの提供元が誰であるかがユーザに意識される。ユーザのネットワークおよびディスク資源は、他のユーザのために活用されるが、どのファイルの供給のために活用されているかをユーザは認識する。(自分が過去にダウンロードしたファイルの供給のためだと認識する)

RubyのまつもとさんによるMatz日記の6月8日に、次のようにあった。

しかし、これってP2Pやらファイル交換に特有の問題なのだろうか。高木さんは「それは詭弁。人の意識が介在するかどうかが肝」とおっしゃる。 Winnyが特に悪質であることを示すためには、確かにそうかもしれない。が、人の意識が介在しようがしなかろうが、侵害されてしまったことと回収不能であることには変わりがない。

たとえば、私の恥ずかしいビデオ*1がどこかのWebページで公開されてしまった、とする。HTTPは別に匿名を意識したプロトコルではないので、理屈では(官憲の力を使ってでも)だれがそのページを管理しているかを特定して、そのページの公開をやめさせることは可能である。しかし、そんなことは簡単にできることではないし(作中にもあったように海外でホスティングしてたら、とか)、たとえできたとしてもすでにタウンロードされてしまったファイルを消すことは(作中の「非常手段」を使いでもしない限り)不可能だ。

テクノロジーの進歩により、個人が大衆に直接アクセスできる手段ができたことそのものが、この問題の背景にある。インターネットは便利さを提供し、人にパワーを与えたが、そのパワーは悪意のある個人にも届けられたのだ。

現時点での私にはこの問題に対する解答はない。

(以下略)

Matz日記 2004年6月8日

「不可能」と「簡単にできることではない」とは異なる。「侵害されてしまったこと」と「侵害され続けること」あるいは「侵害が拡大すること」とは異なる。

まつもとさんは、インターネットがそもそもそのような性質を少なからず持っているということに主張の力点をおいているのだろう。だが、それはいまさら言うまでもないことではないか。

一般に、議論中にしばしば見かける「完全に○○することは不可能なのだから」という理屈。こういう主張は意味がない。なぜなら、「完全に」を冠すればあらゆる事象は「不可能」であるのが自明であり、自明のことを主張することには価値がない。つまり、「程度」こそが議論の対象たり得るのであって、それを排除した主張には存在価値がない。

崎山伸夫のBlog」の5月18日「Winnyの存亡より匿名性の存亡が心配だ」に寄せられたコメントに、次のものがあった。

「詭弁を振り回す輩が予想通り現れてきたが、拡散に人の意識が介在する余地があるかないかが肝である」と高木氏のブログであるが、意識レベルを問題にするのであればWinnyであっても意識は介在している。

情報に対する人の意識は情報を出す行為ー情報を流通させる行為ー情報を受け取る行為という一連の行為のそれぞれに介在する。 高木氏はこの「情報を流通させる行為」にのみにおいて言及しているのにすぎないのであって、「受け取る行為」にも着目しなければ情報に対する論議としては不十分であろう。

(以下略)

高木氏の意見は流通レベルだけにしか言及していない

Winnyでは、流通の仕組みが受け取る行為と切り離せない構造になっている。受け取る行為によってファイルが拡散するのであり、各ユーザの受け取る行為のひとつひとつが流通の仕組みを支えている。しかし、ユーザはそのことを認識していない。「自分は単に受け取っているだけだ」と勘違いしている。一部の専門的ユーザは認識しているだろうが、大半は理解していない。あるいは、理解することを避けながら使っているだろう。

これはうまく作りこまれた仕掛けである。Winnyでは、5月30日の日記にも書いたように、(日本ではWinMXによる「ファイル共有」としての利用がいまひとつ普及しなかった経緯から、)ファイルを暗号化してキャッシュさせるという仕組みによって、「ダウンロードするとそれが新たな拡散に加担することになる」という事実を、ユーザに認識させにくくする工夫がなされている。

これにより、「これは他の人には見せるべきでない」と良心の働くような真に悪質な映像であっても、「これ以上拡散することは避けられるべきだ」という倫理観を持つ人でさえ、自分だけは見ておきたい(見てみたい、自分だけは見てもよいだろう、見てみないと本当に悪質かどうかわからない、見ておく必要がある)と行動することによって、当人の倫理観とは無関係に侵害規模を拡大させていく。

2ちゃんねるには、しばしば人を「神!」と呼ぶ風習がある。京都新聞にこんな記事が出ていた。

書き込み順が47番目だったため「47氏」と呼ばれるようになり、ウィニー完成後は利用者から「天才」「神」と賞賛された。

京都新聞 2004年5月28日, winnyの衝撃(2)伝説の47氏 「天才」「神」と賞賛され

2ちゃんねるにおける「神!」という表現は、単純に純粋な賞賛の意味で使われるのとは違うだろう。しばしば軽犯罪を犯した有名人などに対して「神!」と言うこともある。「祭」を楽しみたい人たちが、祭を起こしてくれるネタを提供してくれる主を「神!」と呼ぶのである。神と呼ばれるに値する行為は、誰にでもできるわけではないことでなくてはならない。その一つが、犯罪、あるいはそれに類する行為ととられかねないリスクを犯す行為である。リスクを犯してまで自分たちを楽しませてくれる人、それが「神!」である。自分たちはリスクを被らないで済む。簡単なところでは、たとえば、テレビの特定の番組を話題にしている場で、注目のシーンをキャプチャしてアップロードしてくれる人を、「神!」と呼んだりする。

そこに見えるのは、自分は侵害行為に加担したくないという倫理観(あるいは安全意識)を持ちながら、自身の欲望は達成しておきたいという考え方だ。Winnyは、まさにそういう人たち向けなシステムだったと言えよう。

そして、そういう考え方は今も増長し続けている。

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