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高木浩光@自宅の日記

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2025年03月28日

日弁連がまた自己情報コントロール権を主張、生成AI曰く「定規の長さをその定規自身で測定しようとするようなもの」

日本弁護士連合会(日弁連)が昨日、「個人情報保護法改正に向けた意見書」を、内閣総理大臣、衆議院内閣委員会、参議院内閣委員会、衆議院議長、参議院議長及び個人情報保護委員会委員長宛てに提出したとのこと。総理や衆議院議長に届けるだなんて組織の威光が羨ましい。私も衆議院法制局長に届けたいわあ。

というわけで、自分で書くのは面倒だったので、例によって例の如く、Claude 3.7 Sonnetに日弁連意見書の論評を書かせた。使用した文書は以下の4点。プロンプトはこれまで同様、簡単な指示で議論の方向づけをしただけである。「循環論法」のところは、譬え話を入れて欲しいと注文した。

  • 高木浩光「個人情報保護法3年ごと見直し令和6年に対する意見」2024年6月12日(資料1-2
  • 高木浩光「「個人情報保護法のいわゆる3年ごと見直しの検討の充実に向けた視点」に対する意見」2024年11月21日(参考資料1-2、69枚目〜)
  • 高木浩光「「本人関与に係る規律の在り方」に対する意見」2025年2月25日(近々公開される?)
  • 日本弁護士連合会「個人情報保護法改正に向けた意見書」2025年3月18日

まずは、生成した論評文のインフォグラフィック表現から。


日本弁護士連合会の個人情報保護法改正意見書に対する批判的検討

—理論的矛盾と実装不可能性の観点から—

2025年

高木浩光氏の意見書に基づく分析

📌 序論

日本弁護士連合会(日弁連)が2025年3月18日に公表した「個人情報保護法改正に向けた意見書」について、高木浩光氏の一連の意見書(2024年6月、11月、2025年2月)を基に批判的に検討します。特に、自己情報コントロール権を中核に据えながら、その徹底による社会機能の麻痺を半ば自覚し、利益衡量という概念で矛盾を解決しようとする点に着目します。

最も驚くべきは、日弁連が「自己情報コントロール権を制約するための利益衡量の基準として、自己情報コントロール権を明確にする」という循環論法に陥っている点です。

🔍 法目的の根本的誤解

日弁連の主張

「自己情報コントロール権」の保障を法目的に明記すべき

高木氏の指摘

核心的保護利益は「個人データ処理による個人に対する評価・決定の適切性確保」

「大前提となる『基本原則』のうち重要なのは、OECD 8原則の第2原則に含まれる『関連性の原則』と『正確性の原則』である」(高木氏)

日弁連はOECDガイドラインの起草過程で認識されていた「保護の必要性を生じさせるのは情報の性質ではなく、その目的と使用である」という点を見落としています。

⚠️ 規制対象範囲の不適切な拡大

日弁連は「市民の日常生活に密接に関わる事項の取扱い」として過剰な拡大解釈を行っています。

高木氏の例:「ライバル会社のX社長が末期ガンである」という情報を重役会議で使用する場合

→この場合にまで利用目的の特定・通知義務を課すのは過剰

本来、個人情報保護法の民間部門の規定は「個人情報データベース等を対象としたものであって、人の噂話を規制するものではない」のです。

🚫 「自己情報コントロール権」の理論的破綻

日弁連が主張する「自己情報コントロール権」には、次のような理論的問題点があります:

  • 特定の個人だけが排他的にコントロールできるという前提自体が非現実的
  • 取引記録など、複数当事者に帰属する情報の扱いが説明できない
  • 医療、金融、行政など、社会システムの基本機能が停止するリスク

日弁連自身も、この権利の絶対性が社会機能を阻害することを半ば認識しており、「例外的に本人の同意を不要とする条項」を提案しています。

⭕ 循環論法という論理的誤謬

「個人情報保護法が保護している「個人の権利利益」の中心が自己情報コントロール権であることを明確にした上で」(日弁連意見書)

自己情報コントロール権を制約する基準として

自己情報コントロール権を明確化する

これは明らかな循環論法であり、定規の長さをその定規自身で測定しようとするようなものです。

高度な法的分析を行う弁護士集団がこのような初歩的な論理的誤謬を犯していることは驚くべきことです。

📜 基本原則の欠如と利益衡量の不可能性

「『正当な利益』の規律を導入するためには、そのような個人データ処理が『正当な』ものと言えるかの何らかの判断基準が必要なのであって、そのような判断基準として参照されるべき『基本原則』(GDPRでは5条)の存在が大前提である」(高木氏)

日本の個人情報保護法は「関連性の原則」を完全に見落とし、「正確性の原則」も狭義にしか取り入れていないため、「正当な利益」による例外規定を導入するための前提条件を欠いています。

日弁連の提案

「自己情報コントロール権」という抽象的概念

高木氏の提案

「関連性の原則」という具体的判断基準

🔄 プロファイリング規制の表面的アプローチ

日弁連は、「プロファイリングによる要配慮個人情報の推知について要配慮個人情報の取得と同等の規制をするべき」と主張し、放送受信者ガイドラインを参照しています。

高木氏は2017年時点でこのガイドラインの矛盾を指摘:

「要配慮個人情報の推知を禁止」しながら「特定の宗教に関する番組を視聴するニーズがあると推定」してターゲティングを許容している

これは「本末転倒であるばかりか、プロファイリングに基づく自動決定を行なっている事実を隠蔽するように促している」との批判があります。

🔀 「差別」概念の理解不足

高木氏によれば、データ保護法制における「差別」とは:

「差別感情やスティグマをもたらす意味での『差別』ではなく、それらを伴わない場合を含む、すべての『不合理な区別』のこと」

この視点からすれば、問題は特定カテゴリの情報(要配慮個人情報)そのものではなく、「決定の目的に関連性のないデータ項目を用いる点」にあります。

「関連性要件の該当性判断は、当事者のみでは解決せず、高度に専門的な判断を要することがある。それゆえに関連性の判断を行う専門機関が必要」(高木氏)

日弁連の提案は「代理差別(proxy discrimination)」のような間接的差別の可能性を見落としています。

🔍 意見形成プロセスの構造的問題

日弁連の意見書に見られる矛盾には、以下のような背景が推察されます:

  • 複雑化・専門化する情報法制における専門的知見の不足
  • 多数の弁護士による合議制での政治的妥協
  • 長年同じ主張を繰り返してきた組織的惰性

「ステークホルダー等の意見を踏まえ慎重に吟味」という表現で判断基準の具体化を先送りしている点も問題です。

高木氏の意見書は個人情報保護法の歴史的展開を丹念に分析していますが、日弁連意見書はGDPRなどの条文を表面的に参照するにとどまっています。

📝 結論

日弁連意見書は、「自己情報コントロール権」という抽象的権利の法定化を強く求めながら、その問題点を「利益衡量」という曖昧な概念で解決しようとしていますが、その基準として自己情報コントロール権自体を明確化するという循環論法に陥っています。

日弁連の主張

形式的な「自己情報コントロール権」の法定化

高木氏の提案

「関連性の原則」を中心とした「データ品質の原則」の法制化

個人情報保護法の改正においては、抽象的権利論から脱却し、具体的な判断基準を明確に法制化することで、個人の権利利益の実質的保護と社会経済活動の両立を図ることが求められます。


そして、その生成した論評文が以下である。


Claude:

日本弁護士連合会の個人情報保護法改正意見書に対する批判的検討

—理論的矛盾と実装不可能性の観点から—

序論

日本弁護士連合会(以下「日弁連」)が2025年3月18日に公表した「個人情報保護法改正に向けた意見書」(以下「日弁連意見書」)は、個人情報保護法の「3年ごと見直し」に際して9項目の改正提言を行っている。本稿では、高木浩光氏の一連の意見書を基礎とし、日弁連意見書に見られる理論的矛盾と実務的問題点を批判的に検討する。

特に注目すべきは、日弁連が一方で「自己情報コントロール権」を絶対的な権利として位置づけながら、他方でその徹底が社会機能を麻痺させることを半ば自覚し、その矛盾を「利益衡量」という曖昧な概念で解決しようとしている点である。さらに驚くべきことに、日弁連は「自己情報コントロール権を制約するための利益衡量の基準として、自己情報コントロール権を明確にする」という循環論法に陥っている。この内部矛盾は、法理論としての根本的な破綻を示している。

I. 個人情報保護法の法目的に関する根本的誤解

1. データ保護法制の本質的目的の誤認

日弁連意見書は、個人情報保護法1条(目的)に「自己情報コントロール権」の保障を明記すべきと主張する。具体的には以下のように述べている:

「個人情報保護法1条(目的)に、法解釈にあたって考慮される中核的な権利利益として自己の情報の取扱いについて自ら決定する権利(自己情報コントロール権)の保障を明記すべきこと」(意見の趣旨1)

しかし、この主張は個人情報保護法制の本質を見誤るものである。高木氏が指摘するように、データ保護法制の核心的保護利益は「個人データ処理による個人に対する評価・決定の適切性確保の利益」にある。これはOECDガイドラインの8原則、特に第2原則の「データ品質の原則」に含まれる「関連性の原則」と「正確性の原則」から導かれるものである。

高木氏は2024年6月の意見書で明確に指摘している:

「大前提となる『基本原則』のうち重要なのは、OECD 8原則の第2原則に含まれる『関連性の原則』と『正確性の原則』である。OECDガイドラインはEU法と同様に『データ保護(data protection)』を実現するものであり、データ保護が保護する核心的利益は、個人データ処理による個人に対する評価・決定の適切性確保の利益である。」

日弁連は大阪高裁平成18年11月30日判決を引用しつつ自己情報コントロール権を主張するが、データ保護法制の国際的発展の文脈を無視している。OECDガイドラインの起草過程において、「保護の必要性を生じさせるのは情報の性質ではなく、その目的と使用である」との認識が形成されていた点を看過している。

2. 規制対象範囲の不適切な拡大解釈

日弁連意見書は次のように述べている:

「この法律は、個人情報という、市民の日常生活に密接に関わる事項の取扱いを一般的に規定している点で、社会の在り方に大きな影響を与えるものであり、その保護する権利利益の内容を明記する必要がある」

この記述は、あらゆる個人情報の取扱いを規制対象とする過剰な拡大解釈を行っている。高木氏が具体例として挙げたように、「ライバル会社のX社長が末期ガンである」という情報を重役会議で使用する場合にまで、利用目的の特定・通知義務が及ぶとすれば、社会経済活動の基本的機能が阻害される。

高木氏の2024年6月の意見書は、この問題を次のように指摘している:

「例えば、ある会社が、重役会議の議題として、『ライバル会社のX社長が末期ガンが見つかり死期が近づいているらしい』との情報を得て、自社の経営方針を検討するときはどうか。『X社長は末期ガンである』という情報は個人情報であり、重役会議でこれを用いることは当該事業者による個人情報の取扱いということになる。このとき、その情報の利用目的を特定し、X氏に通知するか公表しなければ、17条、21条に違反ということになるのか。協力者が身分を隠して聞き出しているから20条1項にも違反するのか。」

個人情報保護法の民間部門の規定は、本来「個人情報データベース等を対象としたものであって、このような人の噂話を規制するものではない」のである。

II. 「自己情報コントロール権」概念の理論的破綻と日弁連の矛盾した対応

1. 概念的・論理的矛盾と社会機能との不整合

日弁連が主張する「自己情報コントロール権」は、理論的整合性を欠いた概念である。現代社会において個人に関する情報は無数の関係性の中で生成・蓄積されるため、特定の個人だけが排他的にコントロールできるという前提自体が非現実的である。

例えば、取引記録は売り手と買い手の双方に帰属する情報であり、一方だけが完全なコントロール権を持つことは論理的に矛盾する。また、公共空間での行動に関する情報や、複数の当事者が関わる情報についても同様の問題が生じる。

「自己情報コントロール権」を無条件に認めた場合、情報を基盤とする現代社会の基本機能が停止する恐れがある。医療、金融、行政、教育など基本的な社会システムは、一定の個人情報処理を前提として機能している。これらすべてを個人の同意に依存させることは、社会インフラの機能停止を意味する。

2. 社会機能停止の認識と不十分な対応

注目すべきは、日弁連自身がこの問題を半ば認識していることである。日弁連意見書は一方で自己情報コントロール権を強く主張しながら、他方で意見の趣旨5として次のように述べている:

「原則として本人の同意が必要とされる個人情報の取扱いであっても、個人情報の利用の必要性と本人の不利益の程度の利益衡量を行った上で、相当な場合には、例外的に本人の同意を不要とする条項を設けるべきこと」

意見の理由では、この提案がGDPRの規定、特に6条1項(f)の「正当な利益」の規定を参考にしたものであることが明らかにされている。具体的には「この点、GDPRには、個人情報の利用の必要性と本人の不利益の程度の比較衡量により、本人の同意がなくとも、個人情報の取扱いを可能とする条項がある」と述べている。

これは自己情報コントロール権を絶対視すれば社会が機能しなくなることを日弁連自身が認識していることの表れである。しかし、この矛盾に正面から向き合うのではなく、「利益衡量」という曖昧な概念で問題を糊塗しようとしているのである。

III. 循環論法という論理的誤謬

1. 判断基準の空洞化と循環論法

日弁連意見書の最も深刻な問題は、利益衡量の判断基準として自己情報コントロール権そのものを挙げている点にある。意見書には次のような記述がある:

「このような比較衡量に基づき、個人情報取扱事業者が、日々の個人情報の取扱いにおいて利益衡量の判断を適切に行うためには、意見の趣旨1で述べたように、個人情報保護法が保護している「個人の権利利益」(個人情報保護法1条)の中心が自己情報コントロール権であることを明確にした上で、ガイドライン等で具体的な例示を示すことが重要である。」

これは「自己情報コントロール権を制約するための利益衡量の基準として、自己情報コントロール権を明確にする」という明らかな循環論法である。ある権利を制限するための基準として、その同じ権利の重要性を基準にするという論理は、循環論法の典型例であり、まるで定規の長さをその定規自身で測定しようとするようなもの*1である。

高度な法的分析を日常的に行う弁護士集団がこのような初歩的な論理的誤謬を犯していることは驚くべきことである。これは問題の本質から目を背け、長年主張してきた権利論の枠組みを放棄できないジレンマの表れとも解釈できる。

2. 基本原則の欠如と利益衡量の不可能性

高木氏は2024年6月の意見書で次のように鋭く指摘している:

「EU法において『正当な利益』を適法性根拠とする際にはバランシングテストが要求されるように、『正当な利益』の規律を導入するためには、そのような個人データ処理が『正当な』ものと言えるかの何らかの判断基準が必要なのであって、そのような判断基準として参照されるべき『基本原則』(GDPRでは5条)の存在が大前提である。しかし、日本法はそのような前提に不可欠な『基本原則』を欠いていることから、現行法の構造のままでは経済界の要望を実現することはできない。」

日本の個人情報保護法は「関連性の原則」を完全に見落とし、「正確性の原則」も狭義にしか取り入れていないため、「正当な利益」による例外規定を導入するための前提条件を欠いている。この状況で単に「利益衡量」を導入しても、何を基準に衡量するのかが不明確なままである。

日弁連が提案するように単に「自己情報コントロール権」を法目的に明記したところで、それは具体的な判断基準を提供しない。むしろ、高木氏の提案する「関連性の原則」こそ、「決定の目的に対してデータ項目が関連性を持つか」という具体的な判断基準を提供するものである。

IV. プロファイリング規制に見る日弁連意見書の表面的アプローチ

1. 放送受信者ガイドラインの無批判な参照

日弁連意見書は意見の趣旨6において次のように述べている:

「プロファイリングによる要配慮個人情報の推知について要配慮個人情報の取得と同等の規制をするべきであること」

そして、意見の理由では放送受信者等の個人情報保護に関するガイドラインを肯定的に参照し、「この点、個人情報保護委員会及び総務省が共同で定めている、放送受信者等の個人情報保護に関するガイドライン(以下「放送分野ガイドライン」という。)42条1項は、「受信者情報取扱事業者は、視聴者特定視聴履歴を取り扱うに当たっては、要配慮個人情報を推知し、又は第三者に推知させることのないよう注意しなければならない」と規定している」と紹介している。

しかし、高木氏は2017年の論文「個人情報保護から個人データ保護へ」において、このガイドラインの本質的矛盾を指摘していた。すなわち、「要配慮個人情報を推知し、又は第三者に推知させることのないよう注意」する一方で、「特定の宗教に関する番組を視聴するニーズがあると推定」してターゲティングを行うことは許容するという矛盾である。

高木氏の指摘によれば、このガイドラインに基づく指針は、「特定の宗教の教徒であることを推知」してデータベースに格納することは「問題になる」としながら、「特定の宗教に関する番組を視聴するニーズがあると推定」してデータベースに格納し、ターゲティングやレコメンドサービスを提供することは「問題にならない」としている。これは「EU法におけるプロファイリングの着眼点とは真逆」の規制である。

さらに指針では、「あらかじめ視聴履歴の利用目的の一つにDM送付を含めて同意を取得していたとしても、ガン治療に関する番組を視聴した視聴者に対して、ガン治療の専門機関のDMを送ることは、視聴者の不信を招く場合もあるので、病歴の推知は行っていないことの説明を加える等、注意が必要である」としているが、高木氏はこれを「本末転倒であるばかりか、プロファイリングに基づく自動決定を行なっている事実を隠蔽するように促してしまっている」と厳しく批判している。

日弁連はこの長年指摘されてきた矛盾を無視し、表面的な行為(「推知」)の禁止に焦点を当てた形式的規制を他分野にも拡大しようとしている。これでは、推知と呼ばない形でのプロファイリングによる実質的に同一の差別的効果を許容することになる。

2. 「差別」概念の理解の不足と関連性原則の重要性

高木氏が指摘するように、データ保護法制における「差別」とは、「差別感情やスティグマをもたらす意味での『差別』ではなく、それらを伴わない場合を含む、すべての『不合理な区別』のこと」を指す。この理解に立脚すれば、問題は特定のカテゴリーの情報(要配慮個人情報)の取扱いではなく、決定の目的に関連性のないデータ項目を用いる点にある。

高木氏は2024年11月の意見書で次のように述べている:

「関連性要件の該当性判断は、当事者のみでは解決せず、高度に専門的な判断を要することがある。それゆえに関連性の判断を行う専門機関が必要と考えられたのが、データ保護法制が西側諸国で勃興した1970年代の欧州と米国の考え方であり、個人情報保護委員会を設置する必要があった真の理由もそこにある。」

そして、「関連性の原則」と差別防止の関係について、2024年6月の意見書で次のように説明している:

「データ保護がこのような『関連性の原則』を必要とする趣旨は、形式的平等が、人を区分する目的と区分に用いる特徴とが『一致』している(特徴が目的に関連性がある)ことを要求することとパラレルであり、非差別原則の実現にある。個人データ処理は、それが決定利用である場合には、データ対象者らを何らかのアルゴリズムで選別することになるのであり、形式的平等の本質が区別に用いる特徴の区別の目的との関連性にあるとされるのと同様に、個人データ処理による決定の適切性の核心が、決定に用いられるデータ項目の決定の目的との関連性にあるのである。」

この視点からすれば、日弁連が提案するような特定カテゴリの情報(要配慮個人情報)の「推知」を禁止するアプローチは、差別防止の本質を見誤っている。高木氏は次のように指摘する:「要配慮個人情報に相当する情報を他のデータから推知して生成することを要配慮個人情報の取得と解釈すればよい」とする意見も否定し、「限定列挙の法的保護属性への代理差別しか防ぐことができない」と論じている。むしろ、「『関連性要件の法制化』により、カテゴリの区別なく、不合理な区別をもたらすすべてのデータ利用を規制すべき」である。

この点、日弁連意見書は、情報の性質に着目した表面的な規制に終始し、「代理差別(proxy discrimination)」のような間接的な差別の可能性を見落としている。特定のカテゴリのみを特別視する方法では、形を変えた差別が容易に生じ得ることを理解していないのである。

V. 意見形成プロセスの構造的問題と実装不可能性

このような矛盾に満ちた意見書が公表される背景には、日弁連の意見形成プロセスにおける構造的問題があると推察される。複雑化・専門化する情報法制において、専門的知見を持たない多数の弁護士による合議制では、理論的一貫性よりも政治的妥協が優先され、結果として誰も責任を持てない中途半端な提言となってしまう可能性がある。

また、長年にわたって同じ主張を繰り返してきた組織的惰性も、明らかな矛盾に気づかない(あるいは気づいても無視する)要因となっているのではないか。日弁連は「ステークホルダー等の意見を踏まえ慎重に吟味される必要がある」という曖昧な表現で判断基準の具体化を先送りしているが、これは事実上、法的判断の明確な基準を提示することを放棄したに等しい。

高木氏の一連の意見書は、個人情報保護法の歴史的展開を丹念に分析し、OECDガイドラインの起草過程にまで遡って法の本質を探求している。一方、日弁連意見書はGDPRなどの条文を表面的に参照するにとどまり、それらの規定の背後にある法的思考や理論的枠組みについての深い理解を欠いている。

結論

日弁連意見書は、一方で「自己情報コントロール権」という抽象的権利の法定化を強く求めながら、他方でその絶対性が社会機能を麻痺させることを半ば認識し、「利益衡量」という曖昧な概念でこの矛盾を緩和しようとしている。しかも、この利益衡量の基準として自己情報コントロール権自体を明確化するという循環論法に陥っている。

高木氏が提案するように、個人情報保護法の真の目的は「個人データ処理による個人に対する評価・決定の適切性確保」にあり、その実現のためには「関連性の原則」をはじめとする「データ品質の原則」の法制化が不可欠である。日弁連の提案するような形式的な「自己情報コントロール権」ではなく、実質的な保護利益に基づく規制アプローチこそが、現代のデータ利活用社会における個人の権利利益の実効的な保護につながる。

個人情報保護法の改正においては、抽象的権利論から脱却し、具体的な判断基準を明確に法制化することで、デジタル社会における個人の権利利益の実質的保護と社会経済活動の両立を図ることが求められる。


他にもいくつか論点が自動的に抽出されたが、論旨をシャープにするために、自己情報コントロール権の主張にフォーカスさせてこの論評を生成させた。せっかくなので、削った他の論点についても「補論」として生成させた。


Claude:

日弁連意見書の問題点に関する補論

—高木浩光氏の見解との対比—

本補論では、主論述では十分に取り上げなかった日本弁護士連合会(以下「日弁連」)意見書の問題点について、高木浩光氏の意見書と対比しながら検討する。

1. 識別情報の取扱いに関する過剰規制

日弁連の主張

日弁連意見書は「個人情報ではないものの個人に到達することが可能な識別情報の保護を拡大すべき」とし、「電話番号、メールアドレス、Cookie ID など、個人に対する連絡が可能な情報」について「個人情報と同等の規制」を求めている。

高木氏の見解

高木氏は識別情報について「決定利用」の有無に着目すべきとしている。2024年11月の意見書では「識別情報についても『決定利用』の有無で判断すべき」とし、「単に識別情報全般を個人情報と同等に扱うのではなく、利用目的に応じた区別が必要」と指摘している。

高木氏の見解では、識別情報の単なる存在ではなく、それが個人別に異なる結果をもたらす「決定利用」に用いられるか否かが本質的な問題である。日弁連の提案は識別情報全般を一律に規制するもので、オンラインサービスの基本機能まで阻害しかねない過剰規制となる。

2. 統計目的利用における過剰規制と利用目的拘束の仕組み

日弁連の主張

日弁連意見書は統計目的利用に言及しているものの、その規制緩和の具体的方法については踏み込んだ提案をしていない。

高木氏の見解

高木氏は2024年6月の意見書で「統計目的利用の過剰規制解消」を主要な論点として詳細に論じ、2025年2月の意見書では「統計目的利用の過剰規制」問題について再び取り上げ、特に「再識別禁止ではなく措置又は決定の禁止とするべき」という観点から具体的な規制緩和方法を提案している。

特に重要なのは、高木氏が「第三者提供時の利用目的拘束」の仕組みを提案している点である。2024年6月の意見書では次のように述べている:

「前記の目的内の提供の場合と同じく、『第三者提供時の利用目的拘束』の仕組みが必要である。委託は利用目的拘束の最も単純な形態の一つであるところ、委託に並ぶ他の形態が求められているということになる。その形態には様々な設計が考えられるが、少なくとも、利用目的拘束を実効性あるものとするために、データの転々流通を防止する規律が必要である」

この仕組みにより、複数の事業者が保有している個人データを突合して統計量に集計する処理が可能となり、かつ利用目的を確実に限定することで第三者提供の安全性を確保できる。日弁連意見書にはこのような具体的かつ現実的な仕組みの提案が欠如している。

3. 生体データの規制に関する理論的基礎の欠如

日弁連の主張

日弁連意見書は「生体データの取扱いについて特に厳格な規制を設けるべき」とし、「生体データを要配慮個人情報とした上で、本人の同意や利用の必要性に応じて例外的に利用を許容する厳格な規制を設けるべき」と主張している。

高木氏の見解

高木氏は2025年2月の意見書で生体データの規制について次のように指摘している:

「EUのAI規制でいう『remote biometric identification』(遠隔生体計測学的個人識別)は、情報自体がセンシティブだからということではなく、公共空間において勝手に個人が識別され、あるいはトラッキングされてしまうことの脅威を問題にしたものであることに留意が必要である。」

このように高木氏は、生体データそのものの性質ではなく、その利用方法や影響に着目すべきことを強調している。また「生体データだけを特別扱いする理由に疑問を呈し」、「単なる海外の制度模倣ではなく、データ処理の実態に即した規制の必要性」を強調している。

日弁連の提案は生体データを一律に特別扱いするもので、情報の性質ではなく利用目的と方法に着目するという高木氏の本質的アプローチとは対照的である。

4. こどもの個人情報保護に関する本質的アプローチの欠如

日弁連の主張

日弁連意見書は「こどもの個人情報保護等についてこどもの保護の観点から明確な規制を設けるべき」とし、法定代理人への情報提供や同意取得の法的明確化、利用停止等請求権の拡張などを提案している。

高木氏の見解

高木氏は2025年2月の意見書で「無条件の利用停止請求を可能とする理由がない」と批判し、以下のように述べている:

「SNS等に書き込まれた散在情報としての個人情報の削除を求めることを想定しているのであれば、それは保有個人データに該当せず、法の利用停止請求権の趣旨にもそぐわない。それ以外にどのようなケースを想定しているのか明らかにされたい。保有個人データの無条件の利用停止請求を子供について認めるべき理由が示されていない。無条件に認めては運用に支障が出るからといって何らの理論にも基づかない思いつきの奇妙な例外を無闇に設けるべきでない。」

さらに重要なのは、高木氏が同意に基づく規制の限界を指摘し、より根本的なアプローチを提唱している点である。2024年11月の意見書では次のように述べている:

「本人関与(これには上記の開示等の他に本人同意が含まれる)が必ずしも期待できない、子供を本人とする個人データ(子供データ)について、『その足らざる部分を補完する仕組みの導入は必要か』と問うている。その答えは、本人関与の機会がなければ法の目的を達成できないような個人データの処理は完全に禁止することである。」

「本人関与の機会がなければ......ような......利用は完全に禁止」すべきだが、これは「許されるべき必要な個人データの処理を不可能にするものではない」と高木氏は指摘する。なぜなら「本人同意を要する現行法の規定が過剰規制なのであって、そこから是正すべき」だからである。

高木氏はさらに、より根本的な対策として以下を提案している:

「子供データの処理を重点的に監視監督することや、①②の規律の導入が政治的に短期では容易でない場合に、子供データに限って先行して①②の規律を導入することが考えられる。特に子供データを扱うことの多い地方公共団体を中心とした公的部門について、特定個人情報保護評価と同様に①②の規律を導入してはどうか。」

ここで言及されている「①②の規律」とは、「『個人データ処理による個人に対する評価・決定の適切性確保』のための、『自律的ガバナンス』の一環」として、「利用目的は、個人に対する決定を伴うか否かの事実、決定を伴う場合はどのような決定の目的であるかを明らかにする必要」があり、「決定を伴う場合に限り、決定に使用するデータ項目の一覧を公表する必要がある」という規律を指している。

このように高木氏は単なる同意取得や利用停止請求権の拡張ではなく、処理の透明性確保と監視監督の強化という本質的なアプローチを提案している。一方、日弁連は表面的な権利拡張に終始し、こどものデータ保護の本質的な課題に対応できていない。


これもインフォグラフィックにしておこう。


日弁連意見書の問題点に関する補論

高木浩光氏の見解との対比 📝 2025年3月

識別情報の取扱いに関する過剰規制

日弁連の主張

個人情報ではないものの個人に到達することが可能な識別情報(Cookie ID等)について「個人情報と同等の規制」を求めている。

高木氏の見解

識別情報について「決定利用」の有無に着目すべき。単に識別情報全般を個人情報と同等に扱うのではなく、利用目的に応じた区別が必要。
⚠️オンラインサービスの基本機能まで阻害する過剰規制
VS
実質的な影響に着目した実効性ある規制

統計目的利用の過剰規制問題

日弁連の主張

統計目的利用に言及するものの、具体的な規制緩和方法については踏み込んだ提案がない。

高木氏の見解

「第三者提供時の利用目的拘束」の仕組みを提案。利用目的拘束を実効性あるものとするために、データの転々流通を防止する規律が必要。
⚠️抽象的な言及のみで具体策なし
VS
「再識別禁止」より「措置又は決定の禁止」を重視

生体データの規制問題

日弁連の主張

生体データの取扱いについて特に厳格な規制を設けるべき。生体データを要配慮個人情報とした上で、例外的に利用を許容する規制を求める。

高木氏の見解

情報自体がセンシティブなのではない。「遠隔生体計測学的個人識別」は公共空間での勝手な識別やトラッキングの脅威が問題。単なる海外制度の模倣は避けるべき。
⚠️情報の性質だけに着目した一律規制
VS
利用目的と方法に着目した本質的アプローチ

こどもの個人情報保護に関する本質的アプローチの欠如

日弁連の主張

こどもの保護の観点から明確な規制を設けるべき。法定代理人への情報提供や同意取得の法的明確化、利用停止等請求権の拡張などを提案。

高木氏の見解

無条件の利用停止請求に疑問。保有個人データに該当しない散在情報の削除は法の趣旨にそぐわない。無条件に認めると運用に支障が出る。何の理論にも基づかない例外は設けるべきでない。

高木氏の本質的アプローチ

🔄 同意に基づく規制の限界を指摘

本人関与の機会がなければ法の目的を達成できないような処理は完全に禁止すべき
👁️ 子供データの処理を重点的に監視監督することを提案

📋 処理の透明性確保と監視監督の強化という本質的なアプローチ
⚠️表面的な権利拡張に終始し、本質的な課題に対応できていない
VS
より実効性のある監視監督と透明性確保を通じた本質的保護を提案

以下の画像は、ChatGPT 4oが考えてくれた「定規の長さをその定規自身で測定しようとするようなもの」の図である。

「定規の長さをその定規自身で測定しようとするようなもの」のイラスト

*1 強調は筆者。


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